有名度
前頭大水上神社
おおみなかみじんじゃ
香川県三豊市高瀬町羽方2136−1
香川県三豊市高瀬町羽方2136−1

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かんたんご利益
ご利益
公
水霊の神
御祭神
大山積命 おおやまつみのみこと
保牟多別命 ほむたわけのみこと
宗像大神 むなかたのおおかみ
神社系統
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
大水上神社は香川県三豊市に鎮座する神社。御祭神は大山積命、保牟多別命、宗像大神の3柱をまつる。
社格は式内社であり、讃岐国二宮、旧県社。
大水上神社は、延喜式神名帳に「讃岐国三野郡小大水上神社」と記された式内社である。境内周辺では、磐座を中心とした祭祀遺跡とともに弥生時代の祭祀土器が出土している。『三代実録』には、貞観7年(865年)10月に従五位上から正五位下、貞観17年(875年)5月に正五位上へ進んだことが記されている。伝承では、景行天皇の孫とされる武殻王が大水上神社を崇敬し、三野郡と豊田郡を社領としたと伝わる。
延暦23年(804年)には、空海が入唐に際して大水上神社へ参籠祈願したと伝えられる。後小松天皇、称光天皇、後花園天皇から勅書を受けたとも伝わる。源平屋島の戦いの際には、源氏と平氏の双方が戦勝祈願を行ったとされる。
建久9年(1198年)の二宮社領目録には、社領200町歩を有したことが記されている。建長年間には社殿の大造営が行われた。応永年間末期に社殿が大破した後、朝命により讃岐国内で人別銭が集められ、永享年間に再建された。江戸時代には京極氏が社領30石を寄進した。明治5年(1872年)に郷社となり、昭和8年(1933年)に県社へ昇格した。
境内には国指定史跡の二ノ宮窯跡が残る。大正14年(1925年)に境内奥で2基の窯跡が発見され、昭和7年(1932年)4月25日に国史跡へ指定された。
また、境内には康永4年(1345年)の銘を持つ県指定有形文化財の石燈籠がある。三豊市指定有形文化財の大水上神社文書には、『二宮三社縁起』をはじめ、元禄年間(1688年〜1704年)から明治時代にかけての祭礼や神社運営に関する記録が伝わっている。
社格は式内社であり、讃岐国二宮、旧県社。
大水上神社は、延喜式神名帳に「讃岐国三野郡小大水上神社」と記された式内社である。境内周辺では、磐座を中心とした祭祀遺跡とともに弥生時代の祭祀土器が出土している。『三代実録』には、貞観7年(865年)10月に従五位上から正五位下、貞観17年(875年)5月に正五位上へ進んだことが記されている。伝承では、景行天皇の孫とされる武殻王が大水上神社を崇敬し、三野郡と豊田郡を社領としたと伝わる。
延暦23年(804年)には、空海が入唐に際して大水上神社へ参籠祈願したと伝えられる。後小松天皇、称光天皇、後花園天皇から勅書を受けたとも伝わる。源平屋島の戦いの際には、源氏と平氏の双方が戦勝祈願を行ったとされる。
建久9年(1198年)の二宮社領目録には、社領200町歩を有したことが記されている。建長年間には社殿の大造営が行われた。応永年間末期に社殿が大破した後、朝命により讃岐国内で人別銭が集められ、永享年間に再建された。江戸時代には京極氏が社領30石を寄進した。明治5年(1872年)に郷社となり、昭和8年(1933年)に県社へ昇格した。
境内には国指定史跡の二ノ宮窯跡が残る。大正14年(1925年)に境内奥で2基の窯跡が発見され、昭和7年(1932年)4月25日に国史跡へ指定された。
また、境内には康永4年(1345年)の銘を持つ県指定有形文化財の石燈籠がある。三豊市指定有形文化財の大水上神社文書には、『二宮三社縁起』をはじめ、元禄年間(1688年〜1704年)から明治時代にかけての祭礼や神社運営に関する記録が伝わっている。
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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B0%B4%E4%B8%8A%E7%A5%9E%E7%A4%BE
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B0%B4%E4%B8%8A%E7%A5%9E%E7%A4%BE
