正部神社 - 神社ファン

有名度

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正部神社

しょうぶじんじゃ

徳島県美馬市美馬町字正部21

徳島県美馬市美馬町字正部21

かんたんご利益

  • 恋愛
  • 仕事
  • 子供
正部神社には

「恋愛系」「仕事系」「子供系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

その他 仕事 恋愛 子授・出産

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

「不明(柱)」 「伊勢・神明系」 「出雲・オオナムチ系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

徳島県美馬市に鎮座する神社。御祭神は伊弉再命、天照大神、大国主命の3柱をまつる。
社格は旧村社。
正部神社の創建は鎌倉時代と伝えられている。社伝では、宝治元年(1247年)、相模国鎌倉の城主であった四位少将清平公の奥方・清姫が、逆臣の謀反によって家臣の藤島主水、千葉彦太郎、侍女の玉振、杉尾らとともに郡里へ逃れたとされる。清姫はその後、郡里で暮らすなかで亡くなり、藤島主水が郡里山井手口に葬ったと伝えられている。
清姫の墓所では、前を馬で通る人が落馬する出来事が続いたとされ、人々は清姫を清浄な場所へ祀ることにした。御神体は切久保の額の坂を越え、入倉の神場へ奉斎された。正応4年(1291年)9月のことと伝わる。当初は若山妙見大明神と称し、井手口に祀られていた。その後、正部へ移されて妙見大明神と呼ばれ、さらに慶応4年(1872年)10月に正部神社へ改称されたと伝えられている。
正部神社は郡里山分350戸の氏神として崇敬を集めてきた。旧3月19日の春祭りでは、清田部落による八乙女舞と讃岐神楽、一宇村による斎部神楽が奉納されたとされる。秋祭りは10月19日に行われ、入倉一統による御供行列や毛槍の練り込み、神輿渡御が続けられてきた。
社殿は、本殿が木造一間社流造、銅板葺である。拝殿は木造切妻造、桟瓦葺で、向拝は庇造と記録されている。鳥居は御影石製の明神鳥居で、明治6年(1873年)の記録が残る。
祭礼では、屋台1台、神輿渡御、舞、神楽が記録されている。ただし、屋台、坊僧の舞、清田の八乙女舞は現在休止とされる。山間部に鎮座する正部神社にも馬当屋の習俗があり、入倉の3地区が馬当屋組を持っていた。昭和30年代頃までは、平野部から馬を借り、祭礼に参加していたと伝えられている。
  • 村社
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神社詳細

摂末社・境内社

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例祭

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文化財

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神紋

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E9%83%A8%E7%A5%9E%E7%A4%BE
徳島県神社庁
http://awa-jinjacho.jp/