有名度
前頭中領八幡宮
なかりょうはちまんぐう
山口県山口市小郡下郷三二九番地
山口県山口市小郡下郷三二九番地

かんたんご利益
- 仕事
- 勝負
中領八幡宮には
「仕事系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「八幡系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
中領八幡宮は山口県山口市に鎮座する神社。御祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、三女神の4柱をまつる。
社格は旧郷社。
社伝では、柏崎の住民であった土与丸ら4人が、豊前国宇佐八幡宮の神霊を奉じて創祀したと伝わる。祭神には応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、姫大神をまつり、下郷一帯の氏神として信仰を集めてきた。
応永15年(1408年)には再建の棟札写が残されている。棟札写には大願主として多々良盛見朝臣の名が記されており、大内盛見の時代に社頭が再建されたことが伝わる。
永正17年(1520年)には、大内義興が泉福寺を中領八幡宮大宮司職に補任した文書が残る。大永8年(1528年)にも補任状が伝わっており、文書には「周防国吉敷郡椹野庄中領八幡宮司職」と記されている。
境内には山口市歴史文化資源に登録されている釣鐘が伝わる。釣鐘には永徳2年(1382年)と永正9年(1512年)の銘文があり、永徳2年銘では豊前国到津庄の晏禅寺のため、藤原弘忠が父の志を継いで鋳造したことが記されている。永正9年銘には、吉敷郡澄清寺の釣鐘が破損したため、寺僧が喜捨を募り、破損鐘を売却して晏禅寺の鐘を買い受けたことが記されている。また、中領八幡宮には明治28年(1895年)製作の銅版境内図も残されている。小郡村時代の境内や周辺町並みを線刻した資料であり、明治期の景観を伝えている。
社格は旧郷社。
社伝では、柏崎の住民であった土与丸ら4人が、豊前国宇佐八幡宮の神霊を奉じて創祀したと伝わる。祭神には応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、姫大神をまつり、下郷一帯の氏神として信仰を集めてきた。
応永15年(1408年)には再建の棟札写が残されている。棟札写には大願主として多々良盛見朝臣の名が記されており、大内盛見の時代に社頭が再建されたことが伝わる。
永正17年(1520年)には、大内義興が泉福寺を中領八幡宮大宮司職に補任した文書が残る。大永8年(1528年)にも補任状が伝わっており、文書には「周防国吉敷郡椹野庄中領八幡宮司職」と記されている。
境内には山口市歴史文化資源に登録されている釣鐘が伝わる。釣鐘には永徳2年(1382年)と永正9年(1512年)の銘文があり、永徳2年銘では豊前国到津庄の晏禅寺のため、藤原弘忠が父の志を継いで鋳造したことが記されている。永正9年銘には、吉敷郡澄清寺の釣鐘が破損したため、寺僧が喜捨を募り、破損鐘を売却して晏禅寺の鐘を買い受けたことが記されている。また、中領八幡宮には明治28年(1895年)製作の銅版境内図も残されている。小郡村時代の境内や周辺町並みを線刻した資料であり、明治期の景観を伝えている。
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神社詳細
公式URL
摂末社・境内社
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文化財
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建築
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神紋
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出典
公式サイト
https://www.facebook.com/nakaryo.shrine/
山口県神社庁
http://www.yamaguchi-jinjacho.or.jp/
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