葦守八幡宮 - 神社ファン

有名度

前頭

葦守八幡宮

あしもりはちまんぐう

岡山県岡山市北区下足守468

岡山県岡山市北区下足守468

拝殿と本殿

Reggaeman(wikipedia CC 表示-継承 3.0)

かんたんご利益

  • 仕事
  • 勝負
葦守八幡宮には

「仕事系」「勝負系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

八幡系

です。
他に 「不明(2柱)」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

葦守八幡宮は岡山県岡山市北区に鎮座する神社。御祭神は応神天皇、神功皇后、玉依媛命、兄媛命、御友別命の5柱をまつる。
社格は旧郷社。
葦守八幡宮は、葉田葦守宮と呼ばれ、応神天皇行幸の旧跡と伝えられている。葉田葦守は、応神天皇の皇妃である吉備兄媛の郷里であったとされ、応神天皇22年9月、応神天皇はこの地へ臨幸したと伝わる。
行幸の際には、兄媛命の兄である御友別命と、その子や兄弟が応神天皇を迎えた。応神天皇は吉備の地を分け、御友別命の子らに川嶋県、上道県、三野県、苑県、波区芸県を与えたと伝承に残る。
応神天皇の崩御後、御友別命の子である中津彦命は、行宮跡に応神天皇の神霊を祀った。この社は葉田葦守宮と称され、現在の葦守八幡宮の起源とされている。
その後、中津彦命の子孫で、葦守に居住した香屋臣、のちの賀陽氏が神職を務めた。賀陽氏は一族から神主を出して奉仕し、その奉仕は足利氏末年まで続いたと伝えられる。
平安時代末期の嘉応元年(1169年)に作成された足守荘園図には、現在の葦守八幡宮の地に「八満山」「八幡宮」の文字が記され、社殿や鳥居も描かれている。
慶長12年(1607年)、豊臣秀頼は奉行の小出大和守を通じて神鏡1面を奉納した。慶長年間に木下家定が葦守へ移封された後は、木下家歴代藩主が約250年にわたり、葦守八幡宮を産土神、領内総鎮守として崇敬し、社殿修理や祭典費用の寄進を行った。
境内には、国指定重要文化財の八幡神社鳥居が残る。鳥居は室町前期の康安元年(1361年)に造立された石造両部鳥居で、柱には「康安元年辛丑10月2日」の刻銘がある。昭和31年(1956年)6月28日、国の重要文化財に指定された。
主な祭典として、1月1日の歳旦祭、7月第4日曜日の大祓祭、10月第2日曜日の秋季大祭が行われる。神事では、10月第2日曜日9時から神輿行事、7月最終日曜日18時から夏越祓が斎行されている。
  • 郷社
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神社詳細

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%A6%E5%AE%88%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE
岡山県神社庁
https://www.okayama-jinjacho.or.jp/