櫻井神社 大阪府 - 神社ファン

有名度

前頭

櫻井神社

さくらいじんじゃ

大阪府堺市南区片蔵645

大阪府堺市南区片蔵645

拝殿

Saigen Jiro(wikipedia CC0)

櫻井神社以外にも 上神谷八幡宮 とも呼ばれます。


かんたんご利益

  • 仕事
  • 勝負
櫻井神社には

「仕事系」「勝負系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利

御祭神

東殿

仲哀天皇 ちゅうあいてんのう

中殿

応神天皇 おうじんてんのう

西殿

神功皇后 じんぐうこうごう

神社系統

この神社の主な系統は

八幡系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

櫻井神社は大阪府堺市南区に鎮座する神社。御祭神は仲哀天皇、応神天皇、神功皇后の3柱をまつる。
社格は式内社である、旧府社。
櫻井神社の創建時期は明確ではないが、伝承ではこの地に住んだ桜井朝臣の一族が祖先の武内宿禰を奉斎したことに始まるとされ、推古5年(597年)に八幡宮を合祀したと伝えられる。延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳には、和泉国大鳥郡の「桜井神社」として記載され、古くから官の祭祀体系に組み込まれていた。
中世には神仏習合のもとで境内に亀遊山神宮寺が置かれ、建武4年(1337年)には上神城主の上神常儀が社殿を造営したと伝わる。天正5年(1577年)には織田信長の紀州征伐の戦火により、拝殿を除く社殿が焼失し社領も失われた。その後、天正16年(1588年)に加藤清正によって阿弥陀堂が再建され、元禄年間までに復興が進められた。
近世末から近代にかけては、慶応4年(1868年)の神仏分離により仏像や経典が移され、境内の宗教空間は大きく再編された。さらに1908年(明治41年)から1910年(明治43年)にかけて國神社ほか9社が合祀され、地域の信仰を集約する存在となった。櫻井神社は、古代の式内社としての系譜に加え、中世の神仏習合、戦国期の焼失、近世の復興、近代の再編という歴史を重ねて現在に至っている。
境内の中心となる国宝の拝殿は、鎌倉時代の建築様式を今に伝える現存最古級の拝殿建築の一つである。桁行5間・梁間3間の切妻造、本瓦葺で、中央に通り抜けの通路を設けた割拝殿形式をとる。内部や妻側には古式の架構がよく残り、簡素ながら力強い木組みに鎌倉建築の特色が表れている。
また、境内には旧國神社に由来する神像3体が伝わり、いずれも大阪府指定文化財である。これらはヒノキの一材から彫り出された鎌倉時代の作とされる。祭礼では毎年10月第1日曜日を中心に「上神谷のこおどり」が奉納され、国選択・大阪府無形民俗文化財として継承されている。
  • 県社
  • 式内社(小)
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神社詳細

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E4%BA%95%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E5%A0%BA%E5%B8%82)
大阪府神社庁
https://www.osaka-jinjacho.jp/