上之社 | 石切劔箭神社 - 神社ファン

有名度

関脇

石切劔箭神社

いしきりつるぎやじんじゃ

大阪府東大阪市東石切町1-1-1

上之社

更新日:2026年1月23日

上之社と長髄彦

本社から徒歩約20分、生駒山の麓を登っていくと石切劔箭神社の上之社が鎮座しています。上之社には饒速日尊と可美真手命の荒魂がお祀りされています。
石切劔箭神社の上之社 鳥居
上之社は、もとは奥宮のある宮山に鎮座していました。1650(慶安3)年、この地に遷座し上之社と呼ばれるようになりましたが、1907(明治40)年、下之社に合祀されました。以降、石碑のみとなっていましたが、お参りする人が後を絶たず、1972年(昭和47年)に再興されました。
石切劔箭神社への石段
鳥居をくぐって長い石段を登ると上之社の社殿が見えてきます。境内には「石切上の宮」と刻まれた百度石があり、社殿の前にある四角の石は神輿台です。
石切劔箭神社の上之社全体
現在の御本殿は1932年(昭和7年)、下之社の本殿建立に伴い解体保存されていた旧下之社の御社殿で、建立は室町時代と言われています。拝殿は平入の入母屋造に向拝がついていて屋根は銅板葺です。百度石と拝殿までの距離は石切劔箭神社より短い距離です。また参拝者が少ないためスムーズに行うことができます。
石切劔箭神社の上之社 拝殿
石切劔箭神社は古くから御祭神は長髄彦(ながすねひこ)との伝説があります。長髄彦は神武天皇に抵抗した人物で神武東征以前に大和地方を治めていたと言われる人物です。神武天皇に逆らった逆賊であるため公に祀ることはできないため、表向きは饒速日尊と可美真手命ですが、「長髄彦」の実像の著者である進藤治氏によれば、社名の「石切」は「 i-si-kir・i 」と分けることができ、アイヌ語で解釈すると「長髄彦」と訳すことが可能ということです。
上之社は最初に神様が祀られましたが、もしかしたら現在の饒速日尊と可美真手命の荒魂ではなく、長髄彦が祀られているのかもしれません。
※石切劔箭神社の公式見解ではありませんのでご注意ください。

本殿は隅木入春日造でガラス張りになっている珍しい様式で屋根は銅板葺です。
石切劔箭神社の上之社 本殿

御礼池

拝殿に向かって左手奥の上り坂を進むと御礼池があります。御礼池では下之社で奉納した「祈亀」が祈願成就したら、「御礼亀」の腹に感謝の気持ちを書いた紙を入れて上之社の御礼池奉納します。
御礼池
「御礼亀」は「祈亀」と違い赤い色です。ただ願うだけではなく感謝の気持ちが大切ですので願いが叶った際には御礼亀の奉納をしましょう。御礼亀は社務所で頂けます。
御礼池に奉納された御礼亀

石切の御滝

御礼池の奥には石切の御滝があります。こちらは社務所に申し入れれば修行ができる滝です。
石切の御滝 入口と御滝までの道
筆者が訪れた時は水の量は少量でしたが。こちらの水が御礼池に流れていっています。
石切の御滝

この記事を1人の方がいいねといっています



スポンサーリンク

石切劔箭神社の人気記事