鵲森宮 - 神社ファン

有名度

前頭

鵲森宮

かささぎもりのみや

大阪府大阪市中央区森ノ宮中央1-14-4

大阪府大阪市中央区森ノ宮中央1-14-4

拝殿

KENPEI(wikipedia CC 表示-継承 3.0)

鵲森宮以外にも 森之宮神社 とも呼ばれます。


かんたんご利益

  • 仕事
  • 金運
鵲森宮には

「仕事系」「金運系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

建築業守護 商売繁盛 金運

御祭神

人皇三十一代用明天皇 ようめいてんのう
穴穂部間人皇后 あなほべのはしひとのひめみこ
聖徳太子 しょうとくたいし

神社系統

この神社の主な系統は

「不明(2柱)」 「聖徳太子系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

鵲森宮は大阪府大阪市中央区に鎮座する神社。御祭神は人皇三十一代用明天皇、穴穂部間人皇后、聖徳太子の3柱をまつる。
社格は旧府社。
創建は崇峻天皇2年(589年)と伝えられる。社伝によれば、聖徳太子は物部守屋との戦いに際して戦勝を祈願し、勝利の後に四天王を祀る寺を建立することを誓った。戦いののち、父の用明天皇と母の穴穂部間人皇后を祀る社としてこの地に鵲森宮を創建し、新たに建立する寺の鎮守としたと伝えられる。さらに聖徳太子自らが四天王像を刻み、のちの四天王寺につながる寺院をこの地に営んだとされる。
鵲森宮の社名に関わる伝承も古い。『日本書紀』推古天皇6年(598年)4月条には、新羅から持ち帰られた2羽の鵲が難波の杜で飼われたことが記されており、この難波の杜が当地の森にあたるとする伝承から、森は次第に「鵲の森」と呼ばれるようになり、社名の由来になったと伝えられている。森之宮神社という通称も、この杜の名に由来する。
中世以降も古社として知られ、承徳2年(1098年)の『難波古地図』には鵲森宮の名が見える。かつては広い社領を有していたが、時代の推移とともに規模は縮小した。天正年間初めには織田信長による大坂本願寺攻めの影響で焼失したが、その後再建された。近代以降も社は守られ、1945年7月24日の大阪大空襲では周辺が焼失するなかで被害を免れている。
境内には本殿と拝殿が建ち、拝殿前の狛犬台座には戦時中の機銃掃射の痕が残されている。祭事では夏祭が知られ、毎年7月第2・第3の土曜日と日曜日に行われる。
  • 県社
  • 式内社(小)
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神社詳細

公式URL

摂末社・境内社

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文化財

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出典
公式サイト
http://www.morinomiya.net/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%B2%E6%A3%AE%E5%AE%AE
大阪府神社庁
https://www.osaka-jinjacho.jp/