有名度
前頭若宮八幡宮
わかみやはちまんぐう
京都府京都市東山区五条橋東5丁目480
京都府京都市東山区五条橋東5丁目480

mariemon (wikipedia CC 表示 3.0)
若宮八幡宮以外にも 陶器神社 とも呼ばれます。
かんたんご利益
- 仕事
- 勝負
若宮八幡宮には
「仕事系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
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※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「八幡系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
若宮八幡宮は京都府京都市東山区に鎮座する神社。御祭神は仲哀天皇、応神天皇、神功皇后、仲恭天皇の4柱をまつる。
社格は旧郷社。
若宮八幡宮の創建は天喜元年(1053年)、後冷泉天皇の勅願により源頼義が左女牛西洞院の自邸内に石清水八幡宮の若宮を勧請したことに始まる。創建当初は左女牛八幡宮、六条左女牛若宮、六条八幡宮とも称され、源氏の氏神として武家の崇敬を集めた。毎年8月には放生会が行われ、保延6年(1140年)に石清水八幡宮が火災に遭った際には若宮へ遷座するとの夢告があったと伝えられ、京中の参詣で賑わったという。
文治元年(1186年)には源頼朝が土佐国吾川郡の地を寄進し、翌年には鎌倉幕府による大規模な社殿造営と遷宮が行われた。建久元年(1190年)および建久6年(1195年)の上洛時、頼朝が石清水八幡宮と当社のみに参詣したと伝わる。承元2年(1208年)および文永11年(1274年)の火災で焼失したが、その都度再建が行われ、鎌倉期を通じて将軍家の崇敬を受けた。
室町時代にも足利尊氏や義政らによる奉納があり、三条坊門の御所八幡宮と並び将軍家の社参を受け、石清水八幡宮に次ぐ宗祀として尊崇された。しかし応仁の乱で社殿を焼失し衰微した。その後、足利義輝・義昭の発起により再建がなされたが、往時の規模には及ばなかった。戦国期には大内氏、毛利氏、細川氏、三好氏、朝倉氏、織田信長らの奉納もあった。
天正12年(1584年)、豊臣秀吉の京都改造により東山の御旅所へ移され、天正16年(1588年)には方広寺大仏殿の北へ、さらに慶長10年(1605年)に現在地へ遷座した。元和元年(1615年)には徳川家康が神領を寄進し、元和3年(1617年)に後水尾天皇の勅命で社殿が造営された。現存する本殿は承応3年(1654年)、後光明天皇の造営によるものである。
本殿は京都市指定有形文化財で、三間社流造の前室付き流造形式をとり、現在は銅板葺であるが当初は檜皮葺であったと伝わる。明治10年(1877年)に仲恭天皇を合祀し、昭和24年(1949年)には陶祖神椎根津彦命を合祀したことから「陶器神社」とも称されるようになった。昭和60年(1985年)には「清水焼発祥之地 五条坂」の碑が建立され、毎年8月7日から10日には若宮八幡宮大祭と陶器祭が行われ、五条坂一帯で陶器市が開かれる。平成25年(2013年)には境内に鍾馗神社が創建された。
社格は旧郷社。
若宮八幡宮の創建は天喜元年(1053年)、後冷泉天皇の勅願により源頼義が左女牛西洞院の自邸内に石清水八幡宮の若宮を勧請したことに始まる。創建当初は左女牛八幡宮、六条左女牛若宮、六条八幡宮とも称され、源氏の氏神として武家の崇敬を集めた。毎年8月には放生会が行われ、保延6年(1140年)に石清水八幡宮が火災に遭った際には若宮へ遷座するとの夢告があったと伝えられ、京中の参詣で賑わったという。
文治元年(1186年)には源頼朝が土佐国吾川郡の地を寄進し、翌年には鎌倉幕府による大規模な社殿造営と遷宮が行われた。建久元年(1190年)および建久6年(1195年)の上洛時、頼朝が石清水八幡宮と当社のみに参詣したと伝わる。承元2年(1208年)および文永11年(1274年)の火災で焼失したが、その都度再建が行われ、鎌倉期を通じて将軍家の崇敬を受けた。
室町時代にも足利尊氏や義政らによる奉納があり、三条坊門の御所八幡宮と並び将軍家の社参を受け、石清水八幡宮に次ぐ宗祀として尊崇された。しかし応仁の乱で社殿を焼失し衰微した。その後、足利義輝・義昭の発起により再建がなされたが、往時の規模には及ばなかった。戦国期には大内氏、毛利氏、細川氏、三好氏、朝倉氏、織田信長らの奉納もあった。
天正12年(1584年)、豊臣秀吉の京都改造により東山の御旅所へ移され、天正16年(1588年)には方広寺大仏殿の北へ、さらに慶長10年(1605年)に現在地へ遷座した。元和元年(1615年)には徳川家康が神領を寄進し、元和3年(1617年)に後水尾天皇の勅命で社殿が造営された。現存する本殿は承応3年(1654年)、後光明天皇の造営によるものである。
本殿は京都市指定有形文化財で、三間社流造の前室付き流造形式をとり、現在は銅板葺であるが当初は檜皮葺であったと伝わる。明治10年(1877年)に仲恭天皇を合祀し、昭和24年(1949年)には陶祖神椎根津彦命を合祀したことから「陶器神社」とも称されるようになった。昭和60年(1985年)には「清水焼発祥之地 五条坂」の碑が建立され、毎年8月7日から10日には若宮八幡宮大祭と陶器祭が行われ、五条坂一帯で陶器市が開かれる。平成25年(2013年)には境内に鍾馗神社が創建された。
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神社詳細
摂末社・境内社
情報募集
例祭
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文化財
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建築
本殿 三間社流造銅板葺
神紋
情報募集
出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A5%E5%AE%AE%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE%E7%A4%BE
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A5%E5%AE%AE%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE%E7%A4%BE
