有名度
前頭大虫神社
おおむしじんじゃ
京都府与謝郡与謝野町温江1821
京都府与謝郡与謝野町温江1821

漱石の猫 (wikipedia CC 表示-継承 4.0)
かんたんご利益
- 恋愛
- 仕事
- 子供
大虫神社には
「恋愛系」「仕事系」「子供系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
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※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
縁結び 五穀豊穣 商売繁盛 子授け
御祭神
主祭神
大己貴命 おおなむちのみこと
合祀
太田命 おおたのみこと
合祀
少童命 わたつみのみこと
神社系統
この神社の主な系統はです。
他に 「不明(1柱)」
「ワタツミ系」
も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
大虫神社は京都府与謝郡与謝野町に鎮座する神社。御祭神は大己貴命、太田命、少童命の3柱をまつる。
社格は名神大社であり、旧府社。
創建年代は不詳であるが、社伝によれば、かつては大江山中腹の池ケ成に鎮座し、「虫宮」と称されていたと伝わる。大己貴命が沼河姫とともに当地に居住した際、槌鬼という悪鬼が現れて姫が病に倒れ、少名彦命が八色の息を吐いてこれを退けたという伝承がある。その後、その息の影響で人や動植物が虫病に苦しむようになったため、少名彦命は体内の害を除く「小虫」、大己貴命は体外の病を治す「大虫」を名乗ることを誓い、鏡を2面作って分有したことから、「大虫」「小虫」の神として崇敬されるようになったと伝えられている。
また、用明天皇の皇子とされる麻呂子親王が大江山の土蜘蛛を征伐する際、自ら刻んだ神像を奉納して戦勝を祈願したという伝承や、億計王・弘計王が即位以前に当地へ潜伏したとする伝承も残る。こうした複数の伝承が重層的に伝えられている点に、本社の歴史的特徴がある。史料上では『文徳天皇実録』に叙位の記事が見え、『延喜式神名帳』にも名を連ねる。正応元年(1288年)には神田を有していたと伝えられ、中世において地域社会と結びついた神社であったことがうかがえる。室町時代初期に現在地へ遷座したとされるが、その事情は明らかではない。近世には阿知江郷の鎮守として崇敬を集めた。
近代に入り、明治6年(1873年)に村社となったが、明治10年(1877年)に社殿再建中の失火により社殿や神像、境内社まで全焼した。明治14年(1881年)に本殿が再建され、同年に阿知江神社および床浦神社を合祀した。明治41年(1908年)には神饌幣帛料供進社に指定され、大正7年(1918年)10月24日に府社へ昇格している。
例祭は4月最終日曜日を中心に行われ、加悦谷祭は4月最終の土曜日・日曜日に斎行される。神事芸能として太刀振りが伝承され、戦後は小学3年生から中学3年生までの男子児童が担い手となり、本振り・道振り・段振りなどに分かれた作法で奉納されている。また、与謝野町指定文化財として石造五重塔(建造物、昭和57年(1982年)6月10日指定)と、経塚出土の経文断片(考古史料、同日指定)が伝わる。これらは本社の歴史的背景を物語る貴重な資料である。
社格は名神大社であり、旧府社。
創建年代は不詳であるが、社伝によれば、かつては大江山中腹の池ケ成に鎮座し、「虫宮」と称されていたと伝わる。大己貴命が沼河姫とともに当地に居住した際、槌鬼という悪鬼が現れて姫が病に倒れ、少名彦命が八色の息を吐いてこれを退けたという伝承がある。その後、その息の影響で人や動植物が虫病に苦しむようになったため、少名彦命は体内の害を除く「小虫」、大己貴命は体外の病を治す「大虫」を名乗ることを誓い、鏡を2面作って分有したことから、「大虫」「小虫」の神として崇敬されるようになったと伝えられている。
また、用明天皇の皇子とされる麻呂子親王が大江山の土蜘蛛を征伐する際、自ら刻んだ神像を奉納して戦勝を祈願したという伝承や、億計王・弘計王が即位以前に当地へ潜伏したとする伝承も残る。こうした複数の伝承が重層的に伝えられている点に、本社の歴史的特徴がある。史料上では『文徳天皇実録』に叙位の記事が見え、『延喜式神名帳』にも名を連ねる。正応元年(1288年)には神田を有していたと伝えられ、中世において地域社会と結びついた神社であったことがうかがえる。室町時代初期に現在地へ遷座したとされるが、その事情は明らかではない。近世には阿知江郷の鎮守として崇敬を集めた。
近代に入り、明治6年(1873年)に村社となったが、明治10年(1877年)に社殿再建中の失火により社殿や神像、境内社まで全焼した。明治14年(1881年)に本殿が再建され、同年に阿知江神社および床浦神社を合祀した。明治41年(1908年)には神饌幣帛料供進社に指定され、大正7年(1918年)10月24日に府社へ昇格している。
例祭は4月最終日曜日を中心に行われ、加悦谷祭は4月最終の土曜日・日曜日に斎行される。神事芸能として太刀振りが伝承され、戦後は小学3年生から中学3年生までの男子児童が担い手となり、本振り・道振り・段振りなどに分かれた作法で奉納されている。また、与謝野町指定文化財として石造五重塔(建造物、昭和57年(1982年)6月10日指定)と、経塚出土の経文断片(考古史料、同日指定)が伝わる。これらは本社の歴史的背景を物語る貴重な資料である。
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神社詳細
摂末社・境内社
情報募集
例祭
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文化財
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建築
本殿 切妻造
神紋
情報募集
出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%99%AB%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E4%B8%8E%E8%AC%9D%E9%87%8E%E7%94%BA)
京都府神社庁
http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%99%AB%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E4%B8%8E%E8%AC%9D%E9%87%8E%E7%94%BA)
京都府神社庁
http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/
