那古野神社 - 神社ファン

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那古野神社

なごのじんじゃ

愛知県名古屋市中区丸の内二丁目3番17号

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愛知県名古屋市中区丸の内二丁目3番17号

拝殿

Jerry fish tkc(wikipedia CC 表示-継承 3.0)

かんたんご利益

  • 健康
  • 仕事
  • 厄除
那古野神社には

「健康系」「仕事系」「厄除・開運系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

想

災難除け 疫病除け 五穀豊穣

御祭神

中扉

須佐之男命 すさのおのみこと

中扉

櫛稲田姫命 くしいなだひめのみこと

左扉

兵主神 ひょうずのかみ

右扉

八王子 はちおうじ

神社系統

この神社の主な系統は

「祇園・須佐系」

です。
他に 「八王子系」 「兵主系」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

那古野神社は愛知県名古屋市中区に鎮座する神社。御祭神は須佐之男命、櫛稲田姫命、兵主神、八王子の4柱をまつる。
社格は旧県社。
社伝では延喜11年(911)3月16日、醍醐天皇の時代に創建されたと伝えられている。当初は天王社または亀尾天王社と称し、後に名古屋城三之丸となる一帯に鎮座していた。
天文元年(1532)、織田信秀が今川氏豊から那古野城を奪った際の兵火によって社殿を焼失した。天文8年(1539)には織田信秀が社殿を再建し、名古屋村の氏神として祀られた。境内には別当寺の亀尾山安養寺が置かれ、天王坊とも称された。
文禄4年(1595)、豊臣秀吉から社領348石を寄進された。慶長15年(1610)、徳川家康による名古屋城築城に伴って社地は城内の三之丸に組み込まれたが、神社はその場所に残され、三之丸天王社とも称された。元和5年(1619)には西隣に東照宮が創建され、元和6年(1620)には尾張藩初代藩主徳川義直が348石の社領を認め、社殿を修造した。寛永6年(1629)には徳川義直によって摂社の兵主社が建立された。
明治時代の神仏分離に伴い、祭神を牛頭天王から須佐之男命へ改め、社名を須佐之男神社とした。明治4年(1871)には社領を失い、別当寺の安養寺も廃された。明治9年(1876)、名古屋鎮台が名古屋城内に置かれることとなり、東照宮とともに旧尾張藩校明倫堂跡にあたる現在地へ遷座した。この際、兵主社は本殿に合祀された。明治32年(1899)には那古野神社へ改称した。
明治33年(1900)には神楽殿が建立された。昭和20年(1945)3月19日の名古屋空襲で本殿を焼失し、戦後の昭和29年(1954)に本殿と祝詞殿、昭和32年(1957)に拝殿、昭和34年(1959)に社務所が再建された。戦災を免れた神楽殿は平成4年(1992)の火災で焼失した。
例祭の天王祭は7月15日・16日に行われる。江戸時代には東照宮祭、若宮祭と並ぶ名古屋三大祭の一つに数えられ、若宮祭と同日に行われていた時代には両祭を合わせて祇園祭とも呼ばれた。祭礼では車楽2輌や見舞車が曳き出されたが、その多くは戦災で失われた。
現在は焼失を免れた車楽1輌が残り、7月15日の宵宮には提灯を飾った車楽が境内に据えられる。16日には神輿が那古野神社から若宮八幡社へ渡御し、同日中に還御する。この神輿渡御は明治25年(1892)に始まった。
  • 県社
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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%A3%E5%8F%A4%E9%87%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE