村国真墨田神社 - 神社ファン

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村国真墨田神社

むらくにますみたじんじゃ

岐阜県各務原市鵜沼山崎町1丁目108番地

岐阜県各務原市鵜沼山崎町1丁目108番地

拝殿

Jerry fish tkc(wikipedia CC 表示-継承 3.0)

かんたんご利益

  • 仕事
  • 金運
村国真墨田神社には

「仕事系」「金運系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

金属製品の守護 金運上昇

御祭神

天之火明命 あめのほあかりのみこと
金山彦命 かなやまびこのみこと
彦火火出見命 ひこほほでみのみこと
罔象女命 くらおかみのみこと
村国男依 むらくにのおより

神社系統

この神社の主な系統は

「不明(1柱)」 「金山系

です。
他に 「不明(2柱)」 「ミヅハノメ系」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

村国真墨田神社は岐阜県各務原市に鎮座する神社。御祭神は天之火明命、金山彦命、彦火火出見命、罔象女命、村国男依の5柱をまつる。
社格は式内社であり、旧郷社。
創建は7世紀頃とされる。当地を支配していた古代豪族・村国氏が、美濃国一宮である南宮大社の主神金山彦命と、尾張国一宮である真清田神社の主神天火明命を合祀して祀ったことに始まると伝えられている。古代東山道沿いに勢力を持った村国氏の氏族的信仰が、この社の成立に深く関わっていたことがうかがえる。
その後、壬申の乱が起きた天武元年(672年)に軍功を挙げた村国男依が、のちに祭神として合祀されたとされる。豪族の祖霊を神として祀るこの構成は、村国真墨田神社が単なる地域鎮守にとどまらず、氏族の歴史と祭祀が密接に結びついた存在であったことを示している。
創建当初の鎮座地は、現在地の南方約500m、木曽川沿いにあったと伝えられ、後世にはその旧地が御旅所として残されたという。河川交通と生活圏の変化に応じて祭祀の場を移しながらも、信仰の中心としての役割が保たれてきたことが知られる。
中世に入ると、永享年間(1429年-1440年)に土岐氏に仕えた大沢利治が鵜沼城を築城し、村国真墨田神社は大沢氏の守護神として崇敬されるようになる。この頃、社は城下へと移され、城と地域を守護する存在として位置づけられていった。
戦国時代には情勢が大きく動く。永禄7年(1564年)、織田信長の命を受けた木下藤吉郎が鵜沼城・伊木山城の攻略を図り、城主大沢治郎左衛門は調略に応じて城を明け渡した。その後、鵜沼城は池田恒興の配下となり、さらに国替えを経て中川定成の支配下に入るなど、城主と勢力はめまぐるしく変転した。
天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いは、村国真墨田神社の歴史における大きな転機となる。この戦いで犬山城攻略に協力した河村惣六が、羽柴秀吉の許可を得て、鵜沼城城下にあった社を現在地へ遷宮したと伝えられている。以後、村国真墨田神社は現在の地に鎮座し、地域の信仰を集め続けてきた。
近代においては、1973年(昭和48年)9月25日に岐阜県神社庁より県神社庁長参向指定神社、いわゆる金幣社の指定を受け、各務原市内における金幣五社の一社として現在に至っている。
  • 郷社
  • 式内社(小)
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神社詳細

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E5%9B%BD%E7%9C%9F%E5%A2%A8%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE
岐阜県神社庁
https://www.gifu-jinjacho.jp/