岸劔神社 - 神社ファン

有名度

前頭

岸劔神社

きしつるぎじんじゃ

岐阜県郡上市八幡町柳町字一ノ平438番地

岐阜県郡上市八幡町柳町字一ノ平438番地

拝殿

Opqr (wikipedia CC 表示-継承 4.0)

かんたんご利益

  • 厄除
岸劔神社には

「厄除・開運系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

厄除開運

御祭神

素盞嗚尊 すさのおのみこと
伊弉那岐命 いざなぎのみこと
伊邪那美命 いざなみのみこと
菊理姫命 くくりひめのみこと
猿田彦大神 さだひこのおおかみ

神社系統

この神社の主な系統は

劔系

です。
他に 「白山系」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

岸劔神社は岐阜県郡上市に鎮座する神社。御祭神は素盞嗚尊、伊弉那岐命、伊邪那美命、菊理姫命、猿田彦大神の5柱をまつる。
社格は旧郷社。
岸劔神社の社名は、御神体である宝剣にまつわる伝承に由来すると伝えられている。
慶長19年(1614年)頃、郡上郡気良村(後の明宝村、現・郡上市明宝)一帯は深刻な旱魃に見舞われたとされる。この地の神社の神主がたびたび雨乞いの祈祷を行ったものの効果は見られず、最終的に氏神の御神体である宝剣を、気良川の川岸にある岩の上で清め、雨乞いを行ったという。すると急に雲が湧き起こり、激しい雨が降り出したと伝えられるが、その雨はやがて豪雨となり、増水した川の流れによって宝剣は岩上から流失してしまったという。この出来事にちなみ、その岩は後に「神流岩」と呼ばれるようになったとされる。
それから数日後、郡上八幡城下を流れる吉田川の岸辺の岩間に宝剣が引っかかっているのを、町人の清水彦右衛門が発見したと伝えられている。この知らせを受けた郡上八幡城主・遠藤慶隆は、この宝剣を神威あるものとして崇敬し、城下町の鎮守とすることを決めた。そして同じく慶長19年(1614年)、城下本町の宮ヶ瀬橋付近に社殿を建立し、宝剣を祀って「岸劔神社」と称したとされる。社名は、吉田川の「岸」に宝剣が「掛かった」という出来事に由来すると伝えられており、宝剣を発見した清水彦右衛門は、創建に際して神職に任じられたという。
創建当初、社地は吉田川沿いの川岸に位置していたが、明治19年(1886年)に城山中腹へと遷座した。さらに明治40年(1907年)には無格社であった白山神社を合祀し、同年3月27日には神饌幣帛供進神社に指定されている。
大正8年(1919年)に発生した郡上大火では、郡上八幡城三の丸跡にあった安養寺などが焼失したが、城山中腹に鎮座していた岸劔神社はこの火災を免れた。その後、城山公園の整備事業に伴い、昭和17年(1942年)に現在の北側の境内地へと再び移転し、現在に至っている。
昭和54年(1979年)3月20日には、岐阜県神社庁より県神社庁長参向指定神社(金幣社)の指定を受け、郡上八幡の総鎮守の一社としての位置づけを明確にしている。
例祭にあわせて奉納される「岸剣神社の大神楽」は、岐阜県により重要な無形民俗文化財として指定されており、郡上八幡を代表する神事芸能として知られている。
伝承によれば、この大神楽は寛文5年(1665年)、郡上藩主・遠藤常友の発願により、伊勢大神楽をもととして伝授されたとされる。その後は岸劔神社の祭礼神事として代々受け継がれ、城下町郡上八幡の春を彩る神事芸能として定着していった。
現在も毎年4月20日・21日の例祭に奉納され、舞や囃子、所作の一部には年に一度のみ演じられる演目が含まれるなど、儀礼性の高さと伝承の厳格さが特徴とされる。
  • 郷社
スポンサーリンク

神社詳細

摂末社・境内社

情報募集

例祭

情報募集

文化財

情報募集

建築

情報募集

神紋

情報募集

出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E5%89%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE
岐阜県神社庁
https://www.gifu-jinjacho.jp/