一宮浅間神社 - 神社ファン

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一宮浅間神社

いちみやあさまじんじゃ

山梨県西八代郡市川三郷町高田梅ヶ入三六九六

山梨県西八代郡市川三郷町高田梅ヶ入三六九六

拝殿

さかおり(wikipedia CC 表示-継承 3.0)

一宮浅間神社以外にも 一ノ宮明神 市川一の宮 とも呼ばれます。


かんたんご利益

  • 仕事
  • 子供
  • 厄除
  • 家庭
一宮浅間神社には

「仕事系」「子供系」「厄除・開運系」「家庭系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

火難除け 安産 夫婦円満 酒造守護

御祭神

木花咲耶姫命 このはなさくやひめのみこと

合祀

瓊々杵尊 ににぎのみこと

合祀

彦火々出見尊 ひこほほでみのみこと

合祀

事解男命 ことさかおのみこと

神社系統

この神社の主な系統は

浅間・サクヤビメ系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

一宮浅間神社は山梨県西八代郡市川三郷町に鎮座する神社。御祭神は木花咲耶姫命、瓊々杵尊、彦火々出見尊、事解男命の4柱をまつる。
社格は名神大社(論社)であり、旧村社。
社伝によれば、創祀は景行天皇朝とされる。また『日本三代実録』の記述を根拠として、貞観6年(864年)の富士山噴火を受け、翌貞観7年(865年)に勅命により甲斐国八代郡に浅間明神の祠が創建され、官社に列され、祝・祢宜が置かれたと伝える。貞観創建の由来としては、木花咲耶姫命が南方の御正体山に遷り難を避けたことが契機とされ、その後延長2年(924年)に御正体山の山宮に対する里宮として現社地へ遷座したと伝える。山上の旧址には山祇社が祀られ、現在もその痕跡が語られる。
『甲斐国社記・寺記』によれば、延長2年(924年)10月、永万3年(1167~1168年)、文治2年(1186年4月)、永徳2年(1382年10月)に社殿造営が行われたといい、神領地30町(約3600坪)を有し、社家12人が属していたとされる。中世には武田氏が制定した「府中八幡社勤番帳」に、永禄4年(1561年)「一の宮の祢き」と記され、当社の祢宜が勤番対象であったことが知られる。天正10年(1582年)、徳川家康の甲斐入国の際には当社に布陣したと伝えられ、兵乱で社領を失い一時荒廃したが、慶長8年(1603年)に徳川四奉行の黒印によって市河高田村中に1石6斗5升の社領と神官屋敷260坪が安堵され、狩衣・太刀の寄進もあったという。さらに慶安2年(1649年)には家光より朱印領が改めて安堵され、社領竹木山林の除地も維持された。寛永20年(1643年)には甲斐国配流の良純法親王が当社を崇敬し、額などを奉納したとされる。明治初頭には村社に列し、現在に至る。
  • 名神大社(論社)
  • 村社
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神社詳細

摂末社・境内社

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例祭

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文化財

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建築

本殿 三間社流造銅板葺

神紋

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%AE%AE%E6%B5%85%E9%96%93%E7%A5%9E%E7%A4%BE
山梨県神社庁
https://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/