有名度
前頭上位小野神社
おのじんじゃ
東京都多摩市一ノ宮1-18-8
東京都多摩市一ノ宮1-18-8



小野神社以外にも 一宮大明神 とも呼ばれます。
神社ワードクラウド
小野神社の特徴を視覚的にわかりやすく表現しています。詳しくは見どころをご確認ください。
かんたんご利益
- 恋愛
- 厄除
小野神社には
「恋愛系」「厄除・開運系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
恋愛成就 厄除
御祭神
公
主祭神
天ノ下春命 あめのしたはるのみこと
主祭神
瀬織津姫命 せおりつひめのみこと
主祭神
稲倉魂大神 いなくらたまのおおかみ
神社系統
この神社の主な系統は
「不明(2柱)」 「稲荷系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
小野神社は東京都多摩市に鎮座する神社。御祭神は天ノ下春命、瀬織津姫命、稲倉魂大神の3柱をまつる。
社格は式内社であり、旧郷社。
社伝では、安寧天皇18年2月初末の日に鎮座したと伝えられる。社名は古くこの地が小野郷と呼ばれていたことに由来する。宝亀3年(772)作成の太政官符には「多磨郡□野社」と記され、元慶8年(884)7月15日に正五位上へ昇叙された。10世紀前半に成立した『延喜式神名帳』には、武蔵国多磨郡の式内小社として記載されている。
武蔵国府に近い場所に鎮座し、武蔵国総社である六所宮が成立すると東殿第一席にまつられ、一宮と称された。永承6年(1051)には、源頼義が源義家とともに参籠し、太刀1振りと和歌1首を奉納したと伝えられる。
治承5年(1181)の『吾妻鏡』には武蔵国の一宮に関する記述がみられ、建久4年(1193)の経筒銘には「一宮別当松連寺」の名が刻まれている。南北朝時代に成立した『神道集』にも武蔵国一宮として記され、中世には文殊菩薩を本地仏とする神仏習合の信仰が行われた。
鎌倉時代末期から戦国時代にかけては戦乱や多摩川の氾濫により社勢が衰えた。慶長14年(1609)12月26日には徳川秀忠によって社殿が再興された。慶安元年(1648)には江戸幕府から社領15石の朱印地が寄進され、文政年間(1818~1830)には新四国八十八ヶ所第48番札所となった。
明治元年(1868)の神仏分離により文殊菩薩は真明寺へ移され、明治21年(1888)には内務省から古社保存金100円が交付された。明治43年(1910)には旧一ノ宮村の村有地20町7反余が神社維持のため奉納された。
大正15年(1926)3月30日には近隣からの火災で社殿を焼失したが、昭和2年(1927)に本殿と拝殿が再建された。昭和39年(1964)には社務所と随身門が再建され、本殿と拝殿を後方へ移して境内が整備された。昭和49年(1974)には末社が再建され、修復された随身像が随身門に安置された。
現在の本殿は三間社流造で、境内には拝殿、随身門、末社が建つ。随身門には東京都指定有形文化財の木造随身倚像2体が安置されており、右像は元応元年(1319)に因幡法橋応円が制作し、寛永5年(1628)に大弐宗慶法印が修理した。昭和50年(1975)2月6日に東京都指定有形文化財となっている。例大祭は毎年9月第2日曜日に斎行される。
社格は式内社であり、旧郷社。
社伝では、安寧天皇18年2月初末の日に鎮座したと伝えられる。社名は古くこの地が小野郷と呼ばれていたことに由来する。宝亀3年(772)作成の太政官符には「多磨郡□野社」と記され、元慶8年(884)7月15日に正五位上へ昇叙された。10世紀前半に成立した『延喜式神名帳』には、武蔵国多磨郡の式内小社として記載されている。
武蔵国府に近い場所に鎮座し、武蔵国総社である六所宮が成立すると東殿第一席にまつられ、一宮と称された。永承6年(1051)には、源頼義が源義家とともに参籠し、太刀1振りと和歌1首を奉納したと伝えられる。
治承5年(1181)の『吾妻鏡』には武蔵国の一宮に関する記述がみられ、建久4年(1193)の経筒銘には「一宮別当松連寺」の名が刻まれている。南北朝時代に成立した『神道集』にも武蔵国一宮として記され、中世には文殊菩薩を本地仏とする神仏習合の信仰が行われた。
鎌倉時代末期から戦国時代にかけては戦乱や多摩川の氾濫により社勢が衰えた。慶長14年(1609)12月26日には徳川秀忠によって社殿が再興された。慶安元年(1648)には江戸幕府から社領15石の朱印地が寄進され、文政年間(1818~1830)には新四国八十八ヶ所第48番札所となった。
明治元年(1868)の神仏分離により文殊菩薩は真明寺へ移され、明治21年(1888)には内務省から古社保存金100円が交付された。明治43年(1910)には旧一ノ宮村の村有地20町7反余が神社維持のため奉納された。
大正15年(1926)3月30日には近隣からの火災で社殿を焼失したが、昭和2年(1927)に本殿と拝殿が再建された。昭和39年(1964)には社務所と随身門が再建され、本殿と拝殿を後方へ移して境内が整備された。昭和49年(1974)には末社が再建され、修復された随身像が随身門に安置された。
現在の本殿は三間社流造で、境内には拝殿、随身門、末社が建つ。随身門には東京都指定有形文化財の木造随身倚像2体が安置されており、右像は元応元年(1319)に因幡法橋応円が制作し、寛永5年(1628)に大弐宗慶法印が修理した。昭和50年(1975)2月6日に東京都指定有形文化財となっている。例大祭は毎年9月第2日曜日に斎行される。
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見どころ
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御社殿(本殿・拝殿)・御祭神・ご利益この記事を0人が評価
神社詳細
公式URL
摂末社・境内社
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文化財
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建築
本殿 三間社流造
神紋
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出典
公式サイト
http://onojinja.or.jp/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E5%A4%9A%E6%91%A9%E5%B8%82)
東京都神社庁
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/
http://onojinja.or.jp/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E5%A4%9A%E6%91%A9%E5%B8%82)
東京都神社庁
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/
