有名度
前頭上位王子神社
おうじじんじゃ
東京都北区王子本町1-1-12
東京都北区王子本町1-1-12

tak1701d(wikipedia CC 表示-継承 3.0)
王子神社以外にも 王子権現 とも呼ばれます。
かんたんご利益
- 健康
- 子供
- 安全
- 厄除
- 家庭
王子神社には
「健康系」「子供系」「安全系」「厄除・開運系」「家庭系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
公
開運招福 運気の回生 厄除け 家内安全 身体健全 交通安全 子育大願
御祭神
伊邪那岐命 いざなぎのみこと
伊邪那美命 いざなみのみこと
天照大御神 あまてらすおおみかみ
速玉之男命 はやたまのおのみこと
事解之男命 ことさかのおのみこと
神社系統
この神社の主な系統は
「熊野系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
王子神社は東京都北区王子本町にある神社。伊邪那岐命、伊邪那美命、天照大御神、速玉之男命、事解之男命の5柱をまつり、総称して王子大神という。
社格は旧郷社。明治元年(1868)に准勅祭社に定められ、現在は東京十社の1社である。
江戸時代には「王子権現」「若一王子宮」などと称され、熊野信仰の神社として広く崇敬された。創建年代は明らかではないが、古くから紀州熊野の神をまつっていたと伝えられている。源義家が奥州征伐に際して当社で戦勝を祈願し、凱旋後に甲冑を奉納したという伝承も残る。
中世の史料では、文保2年(1318)に豊島氏の一族とみられる平行泰が大般若経を施入しており、当時は「豊島熊野権現」とも称されていた。元亨2年(1322)には当地を治めていた豊島氏が紀州熊野三社から王子大神を迎え、「若一王子宮」として奉斎したと伝えられている。
豊島氏は熊野にならって周辺の整備も行い、これ以後、当地は「王子」と呼ばれるようになったという。神社の下を流れる石神井川も、この付近では熊野の音無川にちなんで「音無川」と呼ばれている。中世には豊島庄の鎮守として信仰を集め、戦国時代には古河公方・足利義氏との関係を示す文書も残されている。
戦国時代には小田原北条氏からも崇敬を受け、朱印状によって社領を安堵された。天正19年(1591)には徳川家康から朱印地200石を寄進され、徳川将軍家の祈願所として厚い保護を受けるようになった。
3代将軍・徳川家光は寛永11年(1634)に社殿を造営し、林羅山に命じて「若一王子縁起」3巻を作らせ、後に神社へ奉納した。さらに5代将軍・徳川綱吉の元禄16年(1703)、10代将軍・徳川家治の天明2年(1782)、11代将軍・徳川家斉の文政3年(1820)にも社殿の造営や修繕が行われている。江戸時代の境内には権現造の社殿をはじめ、神門や舞殿が建ち、多くの摂末社がまつられていた。
8代将軍・徳川吉宗も王子の発展に大きな影響を与えた。紀州徳川家出身の吉宗は元文2年(1737)に飛鳥山を寄進し、多くの桜を植えさせた。飛鳥山は江戸庶民が気軽に花見を楽しめる行楽地として賑わい、隣接する王子権現とともに江戸を代表する名所のひとつとなった。王子周辺には参詣と行楽を目的に多くの人々が訪れるようになった。
明治元年(1868)、明治天皇によって東京の鎮護を担う准勅祭社の1社に定められた。神仏分離を経て王子神社と称するようになり、近代社格制度では郷社に列した。准勅祭社の制度は後に廃止されたが、その由緒を受け継ぐ神社によって現在の「東京十社」が構成されている。
昭和20年(1945)4月の空襲では、社殿をはじめ境内の建造物が焼失した。現在の社殿は戦後に再建されたものである。一方、境内にそびえる大イチョウは戦災を免れ、現在まで残されている。
この大イチョウは樹齢約600年とされ、大正13年(1924)の実測では幹囲6.36メートル、高さ19.69メートルを測った。昭和14年(1939)に天然記念物に指定され、現在は東京都指定天然記念物となっている。空襲をくぐり抜けた戦災樹木でもあり、王子神社の長い歴史を現在に伝える存在である。
例大祭では、古くから伝わる「王子田楽」が神前に奉納される。花笠をかぶった舞童が小太鼓やささらを持ち、笛や太鼓の囃子に合わせて隊形を変えながら舞う民俗芸能で、北区指定無形民俗文化財となっている。一時途絶えていたが、昭和59年(1984)に復元された。
例大祭は「槍祭」とも呼ばれ、開運除災の御守である「御槍」が伝えられている。また、毎年12月6日には熊手市が開かれ、商売繁盛や家内安全を願う人々で賑わう。
境内には末社の関神社が鎮座する。江戸時代に蝉丸公を敬仰するかもじ業者によって奉斎されたことに始まるとされ、現在も理容・美容をはじめ髪に関わる業界の守護神として信仰を集めている。その傍らには毛髪への感謝を込めて建立された「毛塚」もある。
王子神社は、中世に豊島氏の鎮守として発展し、江戸時代には徳川将軍家の篤い崇敬を受けた神社である。熊野信仰を背景とする王子権現の歴史は現在の「王子」という地名にも受け継がれ、王子田楽や大イチョウ、関神社などとともに、この地域の歴史と信仰を現在に伝えている。
社格は旧郷社。明治元年(1868)に准勅祭社に定められ、現在は東京十社の1社である。
江戸時代には「王子権現」「若一王子宮」などと称され、熊野信仰の神社として広く崇敬された。創建年代は明らかではないが、古くから紀州熊野の神をまつっていたと伝えられている。源義家が奥州征伐に際して当社で戦勝を祈願し、凱旋後に甲冑を奉納したという伝承も残る。
中世の史料では、文保2年(1318)に豊島氏の一族とみられる平行泰が大般若経を施入しており、当時は「豊島熊野権現」とも称されていた。元亨2年(1322)には当地を治めていた豊島氏が紀州熊野三社から王子大神を迎え、「若一王子宮」として奉斎したと伝えられている。
豊島氏は熊野にならって周辺の整備も行い、これ以後、当地は「王子」と呼ばれるようになったという。神社の下を流れる石神井川も、この付近では熊野の音無川にちなんで「音無川」と呼ばれている。中世には豊島庄の鎮守として信仰を集め、戦国時代には古河公方・足利義氏との関係を示す文書も残されている。
戦国時代には小田原北条氏からも崇敬を受け、朱印状によって社領を安堵された。天正19年(1591)には徳川家康から朱印地200石を寄進され、徳川将軍家の祈願所として厚い保護を受けるようになった。
3代将軍・徳川家光は寛永11年(1634)に社殿を造営し、林羅山に命じて「若一王子縁起」3巻を作らせ、後に神社へ奉納した。さらに5代将軍・徳川綱吉の元禄16年(1703)、10代将軍・徳川家治の天明2年(1782)、11代将軍・徳川家斉の文政3年(1820)にも社殿の造営や修繕が行われている。江戸時代の境内には権現造の社殿をはじめ、神門や舞殿が建ち、多くの摂末社がまつられていた。
8代将軍・徳川吉宗も王子の発展に大きな影響を与えた。紀州徳川家出身の吉宗は元文2年(1737)に飛鳥山を寄進し、多くの桜を植えさせた。飛鳥山は江戸庶民が気軽に花見を楽しめる行楽地として賑わい、隣接する王子権現とともに江戸を代表する名所のひとつとなった。王子周辺には参詣と行楽を目的に多くの人々が訪れるようになった。
明治元年(1868)、明治天皇によって東京の鎮護を担う准勅祭社の1社に定められた。神仏分離を経て王子神社と称するようになり、近代社格制度では郷社に列した。准勅祭社の制度は後に廃止されたが、その由緒を受け継ぐ神社によって現在の「東京十社」が構成されている。
昭和20年(1945)4月の空襲では、社殿をはじめ境内の建造物が焼失した。現在の社殿は戦後に再建されたものである。一方、境内にそびえる大イチョウは戦災を免れ、現在まで残されている。
この大イチョウは樹齢約600年とされ、大正13年(1924)の実測では幹囲6.36メートル、高さ19.69メートルを測った。昭和14年(1939)に天然記念物に指定され、現在は東京都指定天然記念物となっている。空襲をくぐり抜けた戦災樹木でもあり、王子神社の長い歴史を現在に伝える存在である。
例大祭では、古くから伝わる「王子田楽」が神前に奉納される。花笠をかぶった舞童が小太鼓やささらを持ち、笛や太鼓の囃子に合わせて隊形を変えながら舞う民俗芸能で、北区指定無形民俗文化財となっている。一時途絶えていたが、昭和59年(1984)に復元された。
例大祭は「槍祭」とも呼ばれ、開運除災の御守である「御槍」が伝えられている。また、毎年12月6日には熊手市が開かれ、商売繁盛や家内安全を願う人々で賑わう。
境内には末社の関神社が鎮座する。江戸時代に蝉丸公を敬仰するかもじ業者によって奉斎されたことに始まるとされ、現在も理容・美容をはじめ髪に関わる業界の守護神として信仰を集めている。その傍らには毛髪への感謝を込めて建立された「毛塚」もある。
王子神社は、中世に豊島氏の鎮守として発展し、江戸時代には徳川将軍家の篤い崇敬を受けた神社である。熊野信仰を背景とする王子権現の歴史は現在の「王子」という地名にも受け継がれ、王子田楽や大イチョウ、関神社などとともに、この地域の歴史と信仰を現在に伝えている。
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神社詳細
公式URL
摂末社・境内社
情報募集
例祭
情報募集
文化財
情報募集
建築
本殿 権現造
神紋
情報募集
出典
公式サイト
http://ojijinja.tokyo.jp/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E5%AD%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%8C%97%E5%8C%BA)
東京都神社庁
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/
http://ojijinja.tokyo.jp/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E5%AD%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%8C%97%E5%8C%BA)
東京都神社庁
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/
