芳川神社 - 神社ファン

有名度

前頭

芳川神社

よしかわじんじゃ

埼玉県吉川市平沼315-6

埼玉県吉川市平沼315-6

拝殿

ET318 (wikipedia CC 表示-継承 4.0)

かんたんご利益

  • 仕事
  • 勝負
芳川神社には

「仕事系」「勝負系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

農耕 水の神徳 武の神徳

御祭神

建御名方命 たけみなかたのみこと
経津主命 ふつぬしのみこと
愛染大神 あいぜんおかみ

神社系統

この神社の主な系統は

諏訪系

です。
他に 「香取系」 「不明(1柱)」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

芳川神社は埼玉県吉川市に鎮座する神社。御祭神は建御名方命、経津主命、愛染大神の3柱をまつる。
社格は旧村社。
芳川神社の起源は、鎌倉時代初期、文治3年(1187年)に遡る。武士団・吉川氏がこの一帯に起こり、古くから祀られていた土地の神社を「諏訪神社」として再興したことが創建の端緒である。中世期には、平沼村(現・吉川市平沼)の鎮守として、土地の人々の信仰を集めた。地誌『新編武蔵風土記稿』には、「平沼村 諏訪社 香取を相殿とし、本地仏愛染の像を安ず」とあり、別当寺として智光院がその管理を担っていたことが記録されている。香取信仰も合わさっていたことが確認できる。応永から永仁の頃(14世紀末~15世紀初期)になると、戸張氏など地元豪族の関与・管理が強まり、戸張家が産土神として諏訪神社を祀る役割を担ったとされる。延命寺の門徒智光院といった寺院との関係も続いた。大きな転機は江戸時代・近代にかけて進む合祀政策である。明治以降、神仏分離の時代を経て、村社に列格された後、 明治42年(1909年)から大正2年(1913年)にかけて、平沼村の多数の小社(香取神社・熊野・稲荷等)を合祀し、「諏訪神社」から 芳川神社の名称に改められた。これによって氏子地域が広がり、地域の総鎮守としての役割が一層明確となった。また、嘉永3年(1850年)に拝殿が再建され、現在もその形が残っている。
  • 村社
スポンサーリンク

神社詳細

摂末社・境内社

情報募集

例祭

情報募集

文化財

情報募集

建築

情報募集

神紋

情報募集

出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B3%E5%B7%9D%E7%A5%9E%E7%A4%BE
埼玉県神社庁
https://www.saitama-jinjacho.or.jp/