有名度
前頭八幡神社
はちまんじんじゃ
山形県西置賜郡白鷹町大字荒砥甲字楯廻1092
山形県西置賜郡白鷹町大字荒砥甲字楯廻1092

かんたんご利益
- 仕事
- 勝負
八幡神社には
「仕事系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利
御祭神
外六柱
神社系統
この神社の主な系統は
「八幡系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
八幡神社は山形県西置賜郡白鷹町に鎮座する神社。御祭神は應神天皇、仲哀天皇、神功皇后、大国主命、伊弉諾命、伊弉冉命、稻倉魂命、保食命、大山祇命の9柱をまつる。
社格は旧県社。
創始は平安時代後期の寛治元年(1087)と伝えられる。後三年の役で東北地方を転戦していた源義家が当地で敵軍に進軍を阻まれた際、夢に八幡大神が現れて作戦を授けたという。義家は御楯付近に弓矢を立て、8人の乙女に舞楽を奉納させ、日頃崇敬していた京都の石清水八幡宮を遥拝した。これが神社の起こりと伝えられ、8人の乙女による舞楽から八乙女八幡の名が生まれた。
文明2年(1470)には伊達氏家臣の桑島上野守が社殿を修営した。天文10年(1541)には、石那田村、馬場村、菖蒲村、下山村、佐野原村、大瀬村、十王村、滝野村、萩野村、中山村、畔藤村、広野村からなる12か村の総鎮守となった。
明和7年(1770)には参道の石階段と石畳が整備され、現在も境内に残っている。
明治5年(1872)には村社に列格し、社名を八幡神社へ改称した。明治12年(1879)には郷社へ昇格した。
明治34年(1901)旧暦9月15日、拝殿への落雷によって本殿、拝殿などが全焼し、神社に伝えられていた歴史書、宝物、獅子頭なども焼失した。翌明治35年(1902)には本殿の仮殿が造営され、拝殿が再建された。この時、崇敬者から4頭の獅子頭が寄進された。明治43年(1909)には本殿が再建され、遷宮祭が行われた。
大正6年(1917)には神饌幣帛供進神社となった。同年、石那田村の御楯稲荷神社、深山神社、瀧本稲荷神社、下山村の庭渡神社、熊野神社、佐野原村の稲荷神社が八幡神社へ合祀された。
平成3年(1991)には拝殿の屋根葺き替え工事が竣功した。令和7年(2025)には、明治5年(1872)の改称から153年を経て、社名を八幡神社から八乙女八幡神社へ改称した。
境内には八乙女種まきザクラと呼ばれるエドヒガンの古木がある。樹高17.74m、目通り4.67m、根回り8.30mを測り、荒砥城主の桑島和泉守が約400年前に前庭へ植えたとの説が伝わる。桜の開花時期が春の苗代に種をまく時期と重なることから種まきザクラと呼ばれてきた。2013年11月29日に山形県指定天然記念物となり、八乙女種まきザクラ保存会によって保護管理されている。
源義家の創始伝承に登場する8人の乙女による八乙女の舞も伝承されていた。8人の早乙女が奉仕する舞であったが、現在は伝承が途絶えている。
獅子舞は七五三の舞とも呼ばれ、7つ前進し、5歩下がり、再び3歩前進する所作を行う。かつては獅子舞の疾走する様子によって、荒砥の物産であった繭や青麻の相場を占ったとも伝えられる。現在の獅子頭は、明治34年(1901)の火災で従来の獅子頭が焼失した後、翌明治35年(1902)に崇敬者から寄進されたものである。
例大祭は8月14日・15日、半夏祭は7月第1日曜日に行われる。境内には明和7年(1770)に整備された石階段と石畳、明治35年(1902)再建の拝殿、明治43年(1909)再建の本殿、山形県指定天然記念物の八乙女種まきザクラが残る。
社格は旧県社。
創始は平安時代後期の寛治元年(1087)と伝えられる。後三年の役で東北地方を転戦していた源義家が当地で敵軍に進軍を阻まれた際、夢に八幡大神が現れて作戦を授けたという。義家は御楯付近に弓矢を立て、8人の乙女に舞楽を奉納させ、日頃崇敬していた京都の石清水八幡宮を遥拝した。これが神社の起こりと伝えられ、8人の乙女による舞楽から八乙女八幡の名が生まれた。
文明2年(1470)には伊達氏家臣の桑島上野守が社殿を修営した。天文10年(1541)には、石那田村、馬場村、菖蒲村、下山村、佐野原村、大瀬村、十王村、滝野村、萩野村、中山村、畔藤村、広野村からなる12か村の総鎮守となった。
明和7年(1770)には参道の石階段と石畳が整備され、現在も境内に残っている。
明治5年(1872)には村社に列格し、社名を八幡神社へ改称した。明治12年(1879)には郷社へ昇格した。
明治34年(1901)旧暦9月15日、拝殿への落雷によって本殿、拝殿などが全焼し、神社に伝えられていた歴史書、宝物、獅子頭なども焼失した。翌明治35年(1902)には本殿の仮殿が造営され、拝殿が再建された。この時、崇敬者から4頭の獅子頭が寄進された。明治43年(1909)には本殿が再建され、遷宮祭が行われた。
大正6年(1917)には神饌幣帛供進神社となった。同年、石那田村の御楯稲荷神社、深山神社、瀧本稲荷神社、下山村の庭渡神社、熊野神社、佐野原村の稲荷神社が八幡神社へ合祀された。
平成3年(1991)には拝殿の屋根葺き替え工事が竣功した。令和7年(2025)には、明治5年(1872)の改称から153年を経て、社名を八幡神社から八乙女八幡神社へ改称した。
境内には八乙女種まきザクラと呼ばれるエドヒガンの古木がある。樹高17.74m、目通り4.67m、根回り8.30mを測り、荒砥城主の桑島和泉守が約400年前に前庭へ植えたとの説が伝わる。桜の開花時期が春の苗代に種をまく時期と重なることから種まきザクラと呼ばれてきた。2013年11月29日に山形県指定天然記念物となり、八乙女種まきザクラ保存会によって保護管理されている。
源義家の創始伝承に登場する8人の乙女による八乙女の舞も伝承されていた。8人の早乙女が奉仕する舞であったが、現在は伝承が途絶えている。
獅子舞は七五三の舞とも呼ばれ、7つ前進し、5歩下がり、再び3歩前進する所作を行う。かつては獅子舞の疾走する様子によって、荒砥の物産であった繭や青麻の相場を占ったとも伝えられる。現在の獅子頭は、明治34年(1901)の火災で従来の獅子頭が焼失した後、翌明治35年(1902)に崇敬者から寄進されたものである。
例大祭は8月14日・15日、半夏祭は7月第1日曜日に行われる。境内には明和7年(1770)に整備された石階段と石畳、明治35年(1902)再建の拝殿、明治43年(1909)再建の本殿、山形県指定天然記念物の八乙女種まきザクラが残る。
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神社詳細
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出典
山形県神社庁
https://yamagata-jinjyacho.or.jp/
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