有名度
前頭鹿島神社
かしまじんじゃ
宮城県加美郡加美町四日市場字屋敷7
宮城県加美郡加美町四日市場字屋敷7

かんたんご利益
- 仕事
- 勝負
鹿島神社には
「仕事系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
必勝祈願 五穀豊穣 国家守護
御祭神
武甕槌神 たけみかづちのかみ
天照大神 あまてらすのおおみかみ
誉田別命 ほむたわけのみこと
倉稲魂命 うかのみたまのみこと
神社系統
この神社の主な系統は
「鹿島系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
鹿島神社は宮城県加美郡加美町に鎮座する神社。御祭神は武甕槌神、天照大神、誉田別命、倉稲魂命の4柱をまつる。
社格は旧村社。
創建は延暦21年(802年)頃、征夷大将軍坂上田村麻呂が奥州征討の際、塩釜神社左宮の鹿島神を当地に勧請したと伝える。最初の地は四日市場南元宿小松塚と称され、小松神社とも呼ばれた。南北朝期(1348年)、斯波家兼が領主となり社務を整備、27代千波大膳久基によって初めて湯立て・海禊と流鏑馬を伴う盛大な祭礼が始まった。戦国期には天正5年(1577年)大崎義隆らが鳥居を奉納するなど崇敬したが、天正18年(1590年)義隆の不在や領主交代により神事が衰え、一時社が荒廃した。その後、伊達氏支配下となり、神体は避難・帰還し、珍宝山神宮寺と称された。江戸期に入ると、寛永元年(1624年)伊達政宗が社殿修理を寄進し、寛永15年(1638年)忠宗が九曜紋付きの器物や黄金・良材を献じて再建に協力し、九曜紋使用を許可。1640年、鳴瀬川の改流事故を避けて現在地に遷座し、八邑の鎮守と定められた。明治5年に村社に列格。明治30年に長床を改築寄進。明治43年に周辺神社を合祀。第二次世界大戦時には神鐘が徴収されたが、昭和30年に氏子が新鋳して鐘楼を再建。平成15年には敬神婦人講50周年記念誌を発行するなど、歴史を継承し続けている。大蛇の化身に恋したおものめ様の伝説があり良縁のご利益があるとされる。
社格は旧村社。
創建は延暦21年(802年)頃、征夷大将軍坂上田村麻呂が奥州征討の際、塩釜神社左宮の鹿島神を当地に勧請したと伝える。最初の地は四日市場南元宿小松塚と称され、小松神社とも呼ばれた。南北朝期(1348年)、斯波家兼が領主となり社務を整備、27代千波大膳久基によって初めて湯立て・海禊と流鏑馬を伴う盛大な祭礼が始まった。戦国期には天正5年(1577年)大崎義隆らが鳥居を奉納するなど崇敬したが、天正18年(1590年)義隆の不在や領主交代により神事が衰え、一時社が荒廃した。その後、伊達氏支配下となり、神体は避難・帰還し、珍宝山神宮寺と称された。江戸期に入ると、寛永元年(1624年)伊達政宗が社殿修理を寄進し、寛永15年(1638年)忠宗が九曜紋付きの器物や黄金・良材を献じて再建に協力し、九曜紋使用を許可。1640年、鳴瀬川の改流事故を避けて現在地に遷座し、八邑の鎮守と定められた。明治5年に村社に列格。明治30年に長床を改築寄進。明治43年に周辺神社を合祀。第二次世界大戦時には神鐘が徴収されたが、昭和30年に氏子が新鋳して鐘楼を再建。平成15年には敬神婦人講50周年記念誌を発行するなど、歴史を継承し続けている。大蛇の化身に恋したおものめ様の伝説があり良縁のご利益があるとされる。
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神社詳細
公式URL
摂末社・境内社
情報募集
例祭
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文化財
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建築
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神紋
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出典
公式サイト
http://www.kashimajinja.org/
宮城県神社庁
https://miyagi-jinjacho.or.jp/
http://www.kashimajinja.org/
宮城県神社庁
https://miyagi-jinjacho.or.jp/
