有名度
十両立石神社
たていしじんじゃ
岩手県花巻市東和町舘迫1区60
岩手県花巻市東和町舘迫1区60

かんたんご利益
- 仕事
立石神社には
「仕事系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
五穀豊穣 商売繁盛
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「稲荷系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
立石神社は岩手県花巻市に鎮座する神社。御祭神は蒼稲魂大神、大宮賣大神、猿田彦大神の3柱をまつる。
社格は旧村社。
社伝によれば、1247年(宝治元年)6月、猿ヶ石川に近い高舘、あるいは迫舘と呼ばれた地に鎮座していた社は、「早池峰白鬚水」と伝えられる大洪水に見舞われた。舘は崩壊し社殿も流失したが、御神体と神札は舘の裾に立つ御神木に守られて流されることはなく、村人たちはその地に祠を建てて神霊を奉斎したという。
寛永17年(1640)、舘迫村の郷士であった長徳小次郎が神社を長徳の舘へ遷座し、「長徳稲荷」と称して祭祀を再興した。さらに正徳5年(1715)9月9日には、平野家初代・平野弥五兵衛勝長によって現在地へ遷宮が行われ、神社の基盤が築かれた。
その後、安永3年(1774)12月8日に火災で社殿を焼失したものの、翌安永4年(1775)には再建された。歴代盛岡藩主の崇敬も篤く、文化年間(1804~1818)には第11代盛岡藩主・南部利敬から「舘迫稲荷」の社号を授けられ、地域を代表する神社として発展した。
明治9年(1876)には村社へ列格し、明治38年(1905)4月13日に現在の「立石神社」へ改称した。さらに平成14年(2002)には、立石神社と神社所有文化財が旧東和町指定有形文化財となり、平成17年(2005)には寄宮と石碑群も追加指定された。現在はいずれも花巻市指定有形文化財として保護されており、地域の歴史と文化を伝える貴重な神社となっている。例祭日は4月29日に執り行われる。
社格は旧村社。
社伝によれば、1247年(宝治元年)6月、猿ヶ石川に近い高舘、あるいは迫舘と呼ばれた地に鎮座していた社は、「早池峰白鬚水」と伝えられる大洪水に見舞われた。舘は崩壊し社殿も流失したが、御神体と神札は舘の裾に立つ御神木に守られて流されることはなく、村人たちはその地に祠を建てて神霊を奉斎したという。
寛永17年(1640)、舘迫村の郷士であった長徳小次郎が神社を長徳の舘へ遷座し、「長徳稲荷」と称して祭祀を再興した。さらに正徳5年(1715)9月9日には、平野家初代・平野弥五兵衛勝長によって現在地へ遷宮が行われ、神社の基盤が築かれた。
その後、安永3年(1774)12月8日に火災で社殿を焼失したものの、翌安永4年(1775)には再建された。歴代盛岡藩主の崇敬も篤く、文化年間(1804~1818)には第11代盛岡藩主・南部利敬から「舘迫稲荷」の社号を授けられ、地域を代表する神社として発展した。
明治9年(1876)には村社へ列格し、明治38年(1905)4月13日に現在の「立石神社」へ改称した。さらに平成14年(2002)には、立石神社と神社所有文化財が旧東和町指定有形文化財となり、平成17年(2005)には寄宮と石碑群も追加指定された。現在はいずれも花巻市指定有形文化財として保護されており、地域の歴史と文化を伝える貴重な神社となっている。例祭日は4月29日に執り行われる。
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神社詳細
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神紋
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出典
岩手県神社庁
https://www.jinjacho.jp/
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