有名度
十両伊勢両宮神社
いせりょうぐうじんじゃ
岩手県遠野市六日町7-6
岩手県遠野市六日町7-6

かんたんご利益
- 仕事
伊勢両宮神社には
「仕事系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
国家隆昌 生命力向上 五穀豊穣
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「伊勢・神明系」
です。他に 「日吉・山王系」
も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
伊勢両宮神社は岩手県遠野市に鎮座する神社。御祭神は天照大御神、豊受大神、大山咋命の3柱をまつる。
社格は旧村社。
阿曽沼広綱の時代、遠野郷の人々は伊勢参宮の際に受けた大麻を奉斎するため、各地に小祠を建立して御伊勢堂と称した。土淵町似田貝に建立された御伊勢堂が、現在の伊勢両宮神社の起源と伝えられている。
天正年間(1573~1592)には遠野町南方の太平山へ遷座し、その後、遠野南部氏の時代に猿ヶ石川沿いへ新たな社地が定められた。土淵町似田貝の御伊勢堂から神霊を遷し、さらに遠野南郊の御伊勢堂の神霊も合祀して、正徳元年(1711)9月5日に遷座祭を斎行し、神明宮と称した。
寛延4年(1751)の銘を持つ鏡が御神体として伝えられ、宝暦4年(1754)には神輿が奉納された。神輿は遠野五町を巡る渡御に用いられ、以後は3年ごとに神輿渡御を行う慣例となったが、凶作や重税の影響により中断した時期もあった。
明治維新後に伊勢両宮神社へ改称し、明治5年(1872)に村社へ列格した。大正2年(1913)には神饌幣帛料供進神社に指定され、現在の社殿は昭和6年(1931)に建立されたものである。
境内には大山咋命をまつる松尾神社が鎮座する。松尾神社は元文4年(1739)、新町の商人であった両川覚兵衛が勧請したと伝えられ、その神輿は現在も遠野まつりに参加している。伊勢両宮神社と松尾神社周辺は遠野遺産第142号に認定されており、例祭は旧暦7月16日に執り行われる。
社格は旧村社。
阿曽沼広綱の時代、遠野郷の人々は伊勢参宮の際に受けた大麻を奉斎するため、各地に小祠を建立して御伊勢堂と称した。土淵町似田貝に建立された御伊勢堂が、現在の伊勢両宮神社の起源と伝えられている。
天正年間(1573~1592)には遠野町南方の太平山へ遷座し、その後、遠野南部氏の時代に猿ヶ石川沿いへ新たな社地が定められた。土淵町似田貝の御伊勢堂から神霊を遷し、さらに遠野南郊の御伊勢堂の神霊も合祀して、正徳元年(1711)9月5日に遷座祭を斎行し、神明宮と称した。
寛延4年(1751)の銘を持つ鏡が御神体として伝えられ、宝暦4年(1754)には神輿が奉納された。神輿は遠野五町を巡る渡御に用いられ、以後は3年ごとに神輿渡御を行う慣例となったが、凶作や重税の影響により中断した時期もあった。
明治維新後に伊勢両宮神社へ改称し、明治5年(1872)に村社へ列格した。大正2年(1913)には神饌幣帛料供進神社に指定され、現在の社殿は昭和6年(1931)に建立されたものである。
境内には大山咋命をまつる松尾神社が鎮座する。松尾神社は元文4年(1739)、新町の商人であった両川覚兵衛が勧請したと伝えられ、その神輿は現在も遠野まつりに参加している。伊勢両宮神社と松尾神社周辺は遠野遺産第142号に認定されており、例祭は旧暦7月16日に執り行われる。
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出典
岩手県神社庁
https://www.jinjacho.jp/
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