有名度
前頭潮見ヶ岡神社
しおみがおかじんじゃ
北海道小樽市若竹町1番10号
北海道小樽市若竹町1番10号

かんたんご利益
- 仕事
潮見ヶ岡神社には
「仕事系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
五穀豊穣 商売繁盛 豊漁
御祭神
神社系統
他に 「不明(1柱)」
「三吉系」
も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
潮見ヶ岡神社は北海道小樽市に鎮座する神社。御祭神は保食神、八重事代主神、天香語山神、藤原三吉神の4柱をまつる。
社格は旧村社。
天保13年(1842)、小樽マツトマリ(現在の若竹町)に保食神をまつる神社が鎮座した。文久3年(1863)にはカツチナイ(現在の勝納町)に保食神をまつる神社が創立され、明治7年から8年頃にはマツトマリの神社へ付近に鎮座していた八重事代主神が合祀された。明治43年(1910)12月27日、マツトマリとカツチナイの両社は合祀され、社名を穂垂稲荷神社と改称して無格社となった。大正5年(1916)9月19日には、崇敬者の希望により天香語山神と藤原三吉神が合祀された。
大正6年(1917)、明治44年(1911)の皇太子殿下御巡啓の際に港内巡覧で使用された御乗船屋形が下付され、神社では原形のまま保存して大正殿と称した。大正8年(1919)には汐見台町の官有地に本殿造営が許可され、6月26日に竣功届を提出し、7月4日に現在地へ遷座した。
大正9年(1920)10月、手宮裡町稲荷神社が小樽稲荷神社へ改称したことから、穂垂稲荷神社との名称の混同を避けるため、大正13年(1924)4月に潮見ケ岡神社へ改称した。昭和18年(1943)11月28日には社殿が造営され、昭和21年(1946)11月21日に村社へ昇格した。
社殿は神明造である。境内には大正殿が保存されており、明治44年(1911)の皇太子殿下御巡啓に用いられた御乗船屋形を伝えている。特殊神事として松前神楽が奉納され、国指定重要無形民俗文化財である松前神楽の伝承が続けられている。例祭は6月5日に斎行されるほか、歳旦祭、どんと焼き、節分祭・厄払祈願祭、秋まつり、除夜祭など年間を通じて多くの祭事が執り行われ、神輿渡御や縁日は第一週の土日に実施される。
社格は旧村社。
天保13年(1842)、小樽マツトマリ(現在の若竹町)に保食神をまつる神社が鎮座した。文久3年(1863)にはカツチナイ(現在の勝納町)に保食神をまつる神社が創立され、明治7年から8年頃にはマツトマリの神社へ付近に鎮座していた八重事代主神が合祀された。明治43年(1910)12月27日、マツトマリとカツチナイの両社は合祀され、社名を穂垂稲荷神社と改称して無格社となった。大正5年(1916)9月19日には、崇敬者の希望により天香語山神と藤原三吉神が合祀された。
大正6年(1917)、明治44年(1911)の皇太子殿下御巡啓の際に港内巡覧で使用された御乗船屋形が下付され、神社では原形のまま保存して大正殿と称した。大正8年(1919)には汐見台町の官有地に本殿造営が許可され、6月26日に竣功届を提出し、7月4日に現在地へ遷座した。
大正9年(1920)10月、手宮裡町稲荷神社が小樽稲荷神社へ改称したことから、穂垂稲荷神社との名称の混同を避けるため、大正13年(1924)4月に潮見ケ岡神社へ改称した。昭和18年(1943)11月28日には社殿が造営され、昭和21年(1946)11月21日に村社へ昇格した。
社殿は神明造である。境内には大正殿が保存されており、明治44年(1911)の皇太子殿下御巡啓に用いられた御乗船屋形を伝えている。特殊神事として松前神楽が奉納され、国指定重要無形民俗文化財である松前神楽の伝承が続けられている。例祭は6月5日に斎行されるほか、歳旦祭、どんと焼き、節分祭・厄払祈願祭、秋まつり、除夜祭など年間を通じて多くの祭事が執り行われ、神輿渡御や縁日は第一週の土日に実施される。
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出典
北海道神社庁
https://hokkaidojinjacho.jp/
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