賀茂建角身命 神社の神様 - 神社ファン

賀茂建角身命

かもたけつぬみのみこと

  • 神話・伝説
  • 男神・男性

祭神ランキング144位

賀茂建角身命とは?

賀茂建角身命は、『山城国風土記』逸文や『新撰姓氏録』などに登場する男神である。賀茂氏の祖神として知られ、神武天皇を導いた八咫烏と結びつけて伝えられている。『新撰姓氏録』ではカミムスビの孫にあたるとされる。一方、『古事記』『日本書紀』には神武天皇の東征を導く八咫烏が登場するが、賀茂建角身命という神名は記されていない。このため、記紀の八咫烏と賀茂建角身命の同一視は、賀茂氏に伝えられた祖神伝承と区別して考える必要がある。
『古事記』では、神武天皇が熊野から大和へ向かう際、高木大神の命によって八咫烏が遣わされ、その先導を受けて吉野から宇陀へ進んだとされる。『日本書紀』でも天照大神の教えによって八咫烏が遣わされ、神武天皇の軍勢を導いている。後世、賀茂建角身命はこの八咫烏と同一視され、導きの神として信仰されるようになった。ただし、『日本書紀』で神武天皇の軍を勝利へ導く金鵄は八咫烏とは別の場面に登場するもので、賀茂建角身命が八咫烏から金鵄へ姿を変えたとすることはできない。
『山城国風土記』逸文では、賀茂建角身命は日向の曾の峰に天降った後、大和国の葛木山から山城国の岡田の賀茂へ移り、さらに賀茂川をさかのぼって現在の京都盆地北部へ進んだと伝えられている。また、丹波国の伊賀古夜日売との間に建玉依比古命とカモタマヨリヒメをもうけ、カモタマヨリヒメから賀茂別雷命が生まれたとされる。この系譜によって賀茂建角身命は賀茂別雷命の外祖父にあたり、賀茂氏の祖神として賀茂信仰の重要な位置を占めている。
賀茂建角身命には三嶋湟咋、陶津耳命、天日方奇日方武茅淳祇などの神々と同一視する説もあるが、伝承や系譜が異なるため、確定した異名として扱うことはできない。賀茂氏の祖神、京都開拓の神、八咫烏と結びつく導きの神として、交通安全、方位除け、勝運などの神徳で信仰されている。代表的な神社は京都府京都市の賀茂御祖神社《下鴨神社》で、東本殿のカモタマヨリヒメとともに西本殿に祀られている。

エピソード

八咫烏として神武天皇を導いた祖神
『古事記』では、熊野から大和を目指す神武天皇の一行が険しい山中で進路を阻まれたとき、タカミムスビが八咫烏を遣わすと告げる。神武天皇は八咫烏の後を進み、荒ぶる神々がいる熊野の山々を抜けて大和へ向かった。『日本書紀』では天照大神が夢に現れ、八咫烏を道案内として遣わすと告げている。いずれの記紀にも、八咫烏を賀茂建角身命とする記述はない。
一方、『新撰姓氏録』は山城国の賀茂県主について、カミムスビの孫である武津之身命の後裔とし、この神を天八咫烏として神武天皇を導いた祖神に位置付ける。『古語拾遺』にも、賀茂県主の遠祖である八咫烏が神武天皇を導いたとする伝承がある。こうして記紀の八咫烏と賀茂氏の祖神が結び付けられた。
賀茂建角身命と八咫烏の同一視は、記紀本文に記されたものではなく、賀茂氏が伝えた祖神系譜によるものである。この伝承を通じて、賀茂建角身命は正しい進路を示す導きの神とされ、現在では交通安全、旅行安全、方位除け、進学や就職の成就を祈る神としても信仰されている。

出典・参考:『古事記』中巻、『日本書紀』神武天皇即位前紀、『新撰姓氏録』山城国神別、『古語拾遺』、下鴨神社「御祭神・歴史・神話」



葛木山から賀茂川上流へ移った
『山城国風土記』逸文では、賀茂建角身命は日向の曾の峰に天降り、神武天皇の前に立って大和国の葛木山へ至ったとされる。その後、大和国から山城国へ移り、岡田の賀茂、現在の京都府木津川市加茂町付近へ到着した。そこから山代河、現在の木津川に沿って下り、葛野河と賀茂河が合流する地域へ進んだという。
賀茂建角身命は賀茂川を眺め、狭いが石の多い清らかな川であるとたたえ、石川の瀬見の小川と名付けた。そして川をさかのぼり、久我国の北の山のふもとに鎮まった。伝承では、この神が鎮座したことによって、その土地が賀茂と呼ばれるようになったと説明される。現在の地理では、賀茂川と高野川が合流する京都市左京区の周辺から、賀茂川上流へ移ったことを語る物語である。
この移動伝承は、賀茂建角身命を単なる道案内の神ではなく、大和から山城へ進み、清らかな水辺を選んで土地を開いた神として描いている。下鴨神社が賀茂建角身命を京都開拓の神として祀る背景も、この『山城国風土記』逸文にある。賀茂氏の移住や勢力の広がりが、祖神の遍歴として神話化された可能性も考えられている。


出典・参考:『釈日本紀』所引『山城国風土記』逸文、國學院大學デジタルミュージアム「かものやしろ」、下鴨神社「御祭神・歴史・神話」



丹塗矢の神を見定めた外祖父
『山城国風土記』逸文によれば、賀茂建角身命は丹波国の神である伊賀古夜日売を妻とし、建玉依比古命とカモタマヨリヒメをもうけた。あるとき、玉依日売が石川の瀬見の小川で川遊びをしていると、上流から丹塗矢《にぬりや》が流れてきた。玉依日売が矢を持ち帰って床のそばに置くと懐妊し、男神を生んだ。
男神が成長すると、外祖父に当たる賀茂建角身命は、その父神を明らかにするための宴を開いた。大きな屋を造り、戸を閉ざして多くの酒を醸し、神々を集めて七日七夜の宴を催した。そして孫神に、父と思う神へ酒を差し出すよう求めた。すると孫神は杯を持って天を仰ぎ、屋根を突き抜けて天へ昇ったため、天神の子であることが明らかになった。この神が賀茂別雷命である。
風土記逸文では、丹塗矢の正体を乙訓郡の社に鎮座する火雷とする。後世には大山咋神と結び付ける説も生まれたが、資料によって父神の理解は異なる。賀茂建角身命はこの物語で、賀茂別雷命の出自を確かめ、孫神を賀茂祭祀の中心へ導く外祖父として重要な役割を担っている。

出典・参考:『釈日本紀』所引『山城国風土記』逸文、下鴨神社「御祭神・歴史・神話」、國學院大學デジタルミュージアム「かものやしろ」



賀茂氏の祖神から京都の守護神へ
賀茂建角身命を祀る賀茂御祖神社は、京都府京都市左京区に鎮座し、通称を下鴨神社という。東西二棟の本殿を持ち、西本殿に賀茂建角身命、東本殿に娘のカモタマヨリヒメを祀る。御祖という社名は、上賀茂神社の祭神である賀茂別雷命の母神と外祖父を祀ることに由来する。
下鴨神社は、もとは山城国の賀茂県主が祖神を祀った神社である。平安京への遷都後には朝廷の崇敬を受け、都を守る王城鎮護の神社として重要な位置を占めた。未婚の皇女が斎王として奉仕する賀茂斎院の制度が設けられ、賀茂祭は国家的な祭礼として行われた。現在の葵祭は、その賀茂祭を受け継ぐ祭りである。
このように賀茂建角身命の神格は、賀茂氏の祖神から山城国の開拓神、さらに平安京を守護する神へと広がった。八咫烏として正しい道へ導いたという伝承も重なり、現在では京都の守護だけでなく、人の進路や旅路を守る導きの神として信仰されている。下鴨神社では、八咫烏の翼をかたどった導きの御守も授与されており、古い祖神伝承が現代の信仰にも受け継がれている。

出典・参考:『新撰姓氏録』山城国神別、『釈日本紀』所引『山城国風土記』逸文、下鴨神社「御祭神・歴史・神話」「御守一覧」、國學院大學デジタルミュージアム「かものやしろ」



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出典文献

新撰姓氏録

山城国風土記 逸文

神格

交通・旅の神

ご神徳

交通安全 方位除け 合格祈願 勝運

別称・異称

八咫烏

やたがらす

古語拾遺

鴨建津之身命

かもたけつのみのみこと

新撰姓氏録

天八咫烏

あめのやたがらす

新撰姓氏録

建角身命

たけつのみのみこと

新撰姓氏録

武津之身命

たけつのみのみこと

新撰姓氏録

賀茂建角身命

かもたけつのみのみこと

山城国風土記 逸文

賀茂大神

かものおおかみ

山城国風土記 逸文

健角見命

たけつぬみのみこと

その他

健角身命

たけつのみのみこと

その他

建津奴身命

たけつぬみのみこと

その他

建角見命

たけつぬみのみこと

その他

賀茂建津之身命

かもたけつのみのみこと

その他

賀茂武角之身命

かもたけつのみのみこと

その他

同一とされる神様

八咫烏  

関連する神様

賀茂大神 

祀られている主な神社

下鴨神社(賀茂御祖神社)
(京都府左京区下鴨泉川町59)
青海神社
(新潟県加茂市大字加茂字宮山229番地)
下村加茂神社
(富山県射水市加茂中部630番地)
賀茂神社
(福井県福井市加茂町7-1)
岡太神社
(福井県越前市粟田部19-13)