紫尾神社 鹿児島県薩摩郡さつま町紫尾 - 神社ファン

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紫尾神社

しびじんじゃ

鹿児島県薩摩郡さつま町紫尾2164

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鹿児島県薩摩郡さつま町紫尾2164

拝殿

sibifuji(wikipedia パブリック・ドメイン)

紫尾神社以外にも 紫尾山三所権現 とも呼ばれます。


かんたんご利益

  • 健康
  • 仕事
  • 子供
紫尾神社には

「健康系」「仕事系(有名)」「子供系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

鉱山業守護 病気平癒 安産

御祭神

瓊々杵命 ににぎのみこと
彦穂々出見尊 ひこほほでみのみこと
鵜葺草葺不合命 うがやふきあえずのみこと

神社系統

この神社の主な系統は

「紫尾系」

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

紫尾神社は鹿児島県薩摩郡さつま町に鎮座する神社。御祭神は瓊々杵命、彦穂々出見尊、鵜葺草葺不合命の3柱をまつる。
社格は国史見在社であり、旧県社。
紫尾神社の創建は、継体天皇の時代に空覚上人が開いたと伝えられる。空覚上人が紫尾山で修行していた際、山頂の上宮から麓へ紫雲がたなびく霊夢を見たことから、麓に精舎を建てて紫尾山権現と称したという。紫尾山頂には上宮が置かれ、麓には中宮または下宮が置かれた。
平安時代の貞観8年(866)には、『日本三代実録』に薩摩国の紫美神へ神階を授けた記録が残る。その後、紫尾山では神仏習合が進み、紫尾山祁答院神興寺が置かれた。神興寺は阿弥陀如来を本尊とし、紫尾権現とともに祭祀が行われた。現在の紫尾神社駐車場付近には神興寺の跡が残り、「紫尾権現跡紫尾山神興寺跡」としてさつま町の史跡に指定されている。
鎌倉時代の承元年間(1207~1211)には、鎌倉幕府第3代将軍・源実朝が神鏡3面を奉納したと伝えられる。この神鏡は紫尾三所権現の御神体として伝承されてきた。
南北朝時代の建武元年(1334)には、祁答院4代行重が薬師如来と阿弥陀如来の種子梵字を刻んだ方柱石塔婆を建立した。戦国時代の永禄6年(1563)から永禄9年(1566)頃には、紫尾山神興寺から柏原の古紫尾神社まで約1里の道に町石が建てられ、信者や僧侶、山伏らが寄進した。
天正年間には出水領主・島津義虎が神田8町歩を寄進し、11月24日を祭日と定めた。義虎の子・島津忠辰も神社や神輿に関わり、藩政時代には島津氏の崇敬を受けた。紫尾神社は祁答院七ヶ郷の総社として祭祀が続けられ、明治時代には県社に列した。
文化元年(1804)正月元日には火災によって社殿が焼失し、4年後に再建された。昭和55年(1980)には屋根の銅板改修が行われている。境内には太宰府天満宮の分霊を祀る紫尾天神も鎮座する。
紫尾神社では拝殿下から温泉が湧出しており、「神の湯」と呼ばれる。神社周辺には紫尾温泉がある。例祭は10月19日に行われ、11月23日の新嘗祭では幣踊、金山踊、棒踊、太鼓踊、新地節踊などの郷土芸能が奉納される。境内周辺には建武元年銘の方柱石塔婆や空覚塔なども残されている。
  • 県社
  • 国史見在社
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神社詳細

摂末社・境内社

摂社 紫尾天神
菅原道真
すがわらのみちざね

例祭

例祭 10月19日

文化財

方柱石塔婆
さつま町 史跡
文化財種別不明 昭和47年2月指定
空覚塔
さつま町 史跡
文化財種別不明 昭和53年2月指定

建築

情報募集

神紋

情報募集

出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%AB%E5%B0%BE%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E3%81%95%E3%81%A4%E3%81%BE%E7%94%BA)
さつま町
https://www.satsuma-net.jp/soshiki/yakuba/1024/3/kanko_site/rekishi_bunka/shiteibunkazai/1568.html
鹿児島県神社庁
https://www.kagojinjacho.or.jp/