有名度
前頭妻垣神社
つまがきじんじゃ
大分県宇佐市安心院町妻垣203
大分県宇佐市安心院町妻垣203

かんたんご利益
- 恋愛
- 仕事
- 子供
- 厄除
- 家庭
- 勝負
妻垣神社には
「恋愛系」「仕事系」「子供系」「厄除・開運系」「家庭系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
公
子孫繁栄 縁結び 安産 子宝 子育て 家庭円満 夫婦和合 国家鎮護 家内安全 殖産興業 厄除開運 神人交歓 勝運 開拓
御祭神
足一騰宮(上宮)
比咩大神 ひめおおかみ
一ノ殿(下宮)
比咩大神 ひめおおかみ
二ノ殿(下宮)
八幡大神 はちまんおおかみ
三ノ殿(下宮)
神功皇后 じんぐうこうごう
神社系統
この神社の主な系統は
「不明(1柱)」
です。他に 「八幡系」
も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
妻垣神社は大分県宇佐市に鎮座する神社。御祭神は比咩大神、比咩大神、八幡大神、神功皇后の4柱をまつる。
社格は旧県社。
妻垣神社の由緒は、神武天皇東征の伝承に始まる。神倭伊波礼毘古命である神武天皇が日向を発して東国へ向かう途中、宇佐の妻垣に立ち寄り、宇佐国造の祖であるウサツヒコとウサツヒメが一行を迎えたと伝えられる。
翌朝、神武天皇は共鑰山(妻垣山)の大石に、母后である玉依姫命、すなわち比咩大神の御霊を祀るため、自ら祭主となって奉斎した。この大石は足一騰宮と称され、現在も神社の由緒に伝えられている。
天平神護元年(765)には、宇佐宮の八幡大神がこの地に神幸した。同年閏10月8日、八幡神は勅使石川朝臣豊成に神託を下し、社殿を設けて祀るよう告げたと伝えられる。石川朝臣豊成は社殿を造営し、共鑰山の比咩大神と八幡大神を奉祀した。
天長年間(823~834)には宇佐宮から神功皇后が勧請され、比咩大神、八幡大神、神功皇后の三柱を祀る八幡社となった。
嘉暦3年(1328)には足利尊氏が宇佐宮に参籠し、妻垣神社で流鏑馬の神事を行った。貞治5年(1366)には九州探題今川貞世が、共鑰山周辺での墓の建立や乱暴狼藉を禁じる禁制を発布した。
境内には神宮寺延命院をはじめ普賢寺以下四坊が置かれ、神仏習合の形が続いた。天正9年(1581)には大友氏の兵火によって社殿と神宮寺が焼失し、その後、黒田長政が社殿を再建した。以後は細川氏、松平氏、奥平氏など歴代中津藩主の崇敬を受けた。
明治時代の神仏分離により神宮寺は廃寺となり、本尊の普賢延命菩薩は同村の神徳寺へ移された。大正2年(1913)4月には社司の林正木が境内に私立騰宮学館を創設し、昭和20年(1945)まで神職や教員の育成が行われた。
境内は共鑰山の麓に広がり、足一騰宮の伝承地と社殿が残る。現在の社殿は兵火後の再建を経たもので、歴代領主による修営が重ねられてきた。
年間を通して歳旦祭、祈年祭、元宮祭、例大祭・神幸祭、新嘗祭、大祓式・除夜祭などが執り行われ、毎月1日には月次祭が斎行されている。
社格は旧県社。
妻垣神社の由緒は、神武天皇東征の伝承に始まる。神倭伊波礼毘古命である神武天皇が日向を発して東国へ向かう途中、宇佐の妻垣に立ち寄り、宇佐国造の祖であるウサツヒコとウサツヒメが一行を迎えたと伝えられる。
翌朝、神武天皇は共鑰山(妻垣山)の大石に、母后である玉依姫命、すなわち比咩大神の御霊を祀るため、自ら祭主となって奉斎した。この大石は足一騰宮と称され、現在も神社の由緒に伝えられている。
天平神護元年(765)には、宇佐宮の八幡大神がこの地に神幸した。同年閏10月8日、八幡神は勅使石川朝臣豊成に神託を下し、社殿を設けて祀るよう告げたと伝えられる。石川朝臣豊成は社殿を造営し、共鑰山の比咩大神と八幡大神を奉祀した。
天長年間(823~834)には宇佐宮から神功皇后が勧請され、比咩大神、八幡大神、神功皇后の三柱を祀る八幡社となった。
嘉暦3年(1328)には足利尊氏が宇佐宮に参籠し、妻垣神社で流鏑馬の神事を行った。貞治5年(1366)には九州探題今川貞世が、共鑰山周辺での墓の建立や乱暴狼藉を禁じる禁制を発布した。
境内には神宮寺延命院をはじめ普賢寺以下四坊が置かれ、神仏習合の形が続いた。天正9年(1581)には大友氏の兵火によって社殿と神宮寺が焼失し、その後、黒田長政が社殿を再建した。以後は細川氏、松平氏、奥平氏など歴代中津藩主の崇敬を受けた。
明治時代の神仏分離により神宮寺は廃寺となり、本尊の普賢延命菩薩は同村の神徳寺へ移された。大正2年(1913)4月には社司の林正木が境内に私立騰宮学館を創設し、昭和20年(1945)まで神職や教員の育成が行われた。
境内は共鑰山の麓に広がり、足一騰宮の伝承地と社殿が残る。現在の社殿は兵火後の再建を経たもので、歴代領主による修営が重ねられてきた。
年間を通して歳旦祭、祈年祭、元宮祭、例大祭・神幸祭、新嘗祭、大祓式・除夜祭などが執り行われ、毎月1日には月次祭が斎行されている。
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神社詳細
公式URL
摂末社・境内社
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出典
公式サイト
http://www.tumagakijinjya.com/
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