有名度
前頭阿沼美神社
あぬみじんじゃ
愛媛県松山市平田町983番
愛媛県松山市平田町983番

かんたんご利益
- 仕事
- 安全
阿沼美神社には
「仕事系」「安全系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
諸産業守護 海上安全
御祭神
大山祇神 おおやまずみのみこと
月読神 つくよみのかみ
高龗神 たかおかみのかみ
雷神 いかずちのかみ
神社系統
この神社の主な系統は
「三島・大山祇系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
阿沼美神社は愛媛県松山市に鎮座する神社。御祭神は大山祇神、月読神、高龗神、雷神の4柱をまつる。
社格は名神大社(論社)であり、旧郷社。
創建年代は確認できない。社伝では、この地は景行天皇の皇子で伊予御村別氏の祖とされる武国凝別命、日本武尊の子で伊予別君の祖とされる十城別王が居住した場所と伝わる。阿沼美神社は、歴代の伊予別君が阿沼美神を祀ったことに始まるとされている。
その後、河野氏が大山祇神を合祀し、社名は阿沼美三島大明神となった。さらに阿沼美三島新宮とも称され、河野氏滅亡後は三島新宮の名で呼ばれるようになったと伝わる。
天明2年(1782年)には、本殿から「阿沼美三島新宮」と記された棟札が見つかった。続いて天保4年(1833年)には、社前の神橋の地下から「阿沼美宮」と刻まれた石額が掘り出されている。この石額は延文5年(1360年)のものとされる。翌天保5年(1834年)、吉田家から式内社阿沼美神社とする裁許を受け、社号を阿沼美神社へ改めた。
『延喜式神名帳』に記載される阿沼美神社については、松山市味酒町の阿沼美神社も論社とされている。平田町の阿沼美神社では、社伝や出土した石額などが伝えられ、古くから式内社との関わりが語られてきた。
現在の本殿は流造である。例祭は10月4日に行われる。
社格は名神大社(論社)であり、旧郷社。
創建年代は確認できない。社伝では、この地は景行天皇の皇子で伊予御村別氏の祖とされる武国凝別命、日本武尊の子で伊予別君の祖とされる十城別王が居住した場所と伝わる。阿沼美神社は、歴代の伊予別君が阿沼美神を祀ったことに始まるとされている。
その後、河野氏が大山祇神を合祀し、社名は阿沼美三島大明神となった。さらに阿沼美三島新宮とも称され、河野氏滅亡後は三島新宮の名で呼ばれるようになったと伝わる。
天明2年(1782年)には、本殿から「阿沼美三島新宮」と記された棟札が見つかった。続いて天保4年(1833年)には、社前の神橋の地下から「阿沼美宮」と刻まれた石額が掘り出されている。この石額は延文5年(1360年)のものとされる。翌天保5年(1834年)、吉田家から式内社阿沼美神社とする裁許を受け、社号を阿沼美神社へ改めた。
『延喜式神名帳』に記載される阿沼美神社については、松山市味酒町の阿沼美神社も論社とされている。平田町の阿沼美神社では、社伝や出土した石額などが伝えられ、古くから式内社との関わりが語られてきた。
現在の本殿は流造である。例祭は10月4日に行われる。
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