三隅八幡宮 - 神社ファン

有名度

前頭

三隅八幡宮

みすみはちまんぐう

山口県長門市大字三隅中2065番地

山口県長門市大字三隅中2065番地

かんたんご利益

  • 仕事
  • 勝負
三隅八幡宮には

「仕事系」「勝負系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

八幡系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

三隅八幡宮は山口県長門市に鎮座する神社。御祭神は品陀和気命、大雀命、息長帯比売命の3柱をまつる。
社格は旧郷社。
三隅八幡宮は、平安末期から鎌倉初期にかけて、豊前国の宇佐八幡宮より勧請されたと伝わる。『八幡宮並末社由来控』には、往古に宇佐八幡宮から勧請し、三隅郷中と通浦の惣氏神としたことが記されている。
御鎮座に関する伝承では、生島の国貞氏の祖先が栗良の海岸で休息していた際、海中に光り輝くものを見つけた。引き上げると八幡大神の御神体であり、生島の村人が祠を建てて奉斎したという。のちに御神体は現在地へ遷され、三隅八幡宮になったと伝えられる。
南北朝時代の貞治年間(1362年〜1367年)には社殿が焼失し、宝物や旧記も失われた。古くは社領50石を有していたが、慶長年間(1596年〜1615年)、領主堅田大和守の時代に5石へ減高された。
社殿は天正5年(1577年)に仮殿が造営され、翌天正6年(1578年)には御本地阿弥陀三尊が奉遷された。慶長16年(1611年)に再建が行われ、その後も明暦3年(1657年)、寛文9年(1669年)、貞享4年(1687年)に修理が実施された。さらに宝永4年(1707年)と天明7年(1787年)に再建され、文化6年(1809年)に修理、大正13年(1924年)にも再建が行われた。
江戸時代には毛利氏との関わりも深く、藩主が初めて国入りする際には当社神官への御目見えが許された。在国中の正月にも御目見えが命じられ、藩主が近辺へ下向した際には参詣が行われた。通行時には御本陣御座所となり、御領安泰の祈祷も行われた。
9月16日には秋季例大祭が行われる。祭礼では神楽舞、腰輪踊、巫女舞、渡御祭、餅まきなどが奉納される。田頭御神幸は8月1日から25日にかけて行われ、神輿が田畑や網代を巡行する。三隅の腰輪踊は山口県指定無形民俗文化財である。毎年9月16日に三隅八幡宮前庭などで奉納される。元禄4年(1691年)の記録や、天明4年(1784年)に書き改められた「八幡宮祭礼定桟敷割絵図」が残されている。
  • 郷社
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出典
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http://www.facebook.com/misumihachimanguu
山口県神社庁
http://www.yamaguchi-jinjacho.or.jp/