豊原北島神社 - 神社ファン

有名度

前頭

豊原北島神社

とよはらきたじまじんじゃ

岡山県瀬戸内市邑久町北島1186

岡山県瀬戸内市邑久町北島1186

鳥居と拝殿

Reggaeman(wikipedia CC 表示-継承 3.0)

かんたんご利益

  • 仕事
  • 勝負
豊原北島神社には

「仕事系」「勝負系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

八幡系」 「不明(1柱)」

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

豊原北島神社は岡山県瀬戸内市に鎮座する神社。御祭神は応神天皇、神功皇后、比め大神、豊原北島神、品陀和気命の5柱をまつる。
社格は旧郷社。
社伝によれば、豊原北島神社は舒明天皇6年(634年)に豊前国宇佐から勧請されたという。神社東側の鎮座石の上に藁を解き敷いて奉祀したことから、「ときわら」が後に荘名の「とよはら」になったと伝えられている。また、「北島」の名は、往古にこの地が島であったことに由来するとされる。
古くは豊原荘北島に鎮座する神社として崇敬され、延喜式外の古社に数えられた。従五位上豊原北嶋明神、上八幡大菩薩、正八幡宮などの社号でも呼ばれ、平安時代には近衛天皇の勅願所となった。さらに、白河院領や後鳥羽院領の鎮守神としても信仰を集めた。
平安時代末期、山続きの今木城周辺では源平合戦が行われた。源氏方の武将である佐々木盛綱は、児島藤戸合戦の際に戦勝を祈願し、甲冑や武具を奉納したと伝えられている。鎌倉時代末期から南北朝時代にかけては、児島高徳の同族とされる大富氏、和田氏、射越氏らが氏子の中から興り、南朝方として活動したとされる。
社殿は兵火などによって焼失したと伝わる。その後は領家、領主、氏子らによって造営や神領の寄進が重ねられた。寛文6年(1666年)には、餘慶寺本乗院の良庸が還俗して神職となり、その家系が代々神職を継承した。
明治3年(1870年)、社名は豊原北嶋神社へ改められた。六代業合大枝は、本居宣長、平田篤胤、藤井高尚に学んだ国学者・歌人である。境内には業合大枝の歌碑が建ち、神社東側には旧宅も残されている。明治4年(1871年)には郷社へ列格し、明治41年(1908年)には神饌幣帛料供進神社に指定された。
現在の社殿は、本殿が大正8年(1919年)に再建されたものである。拝殿、幣殿、釣殿は昭和14年(1939年)、鎮座1300年を記念して改築された。しかし平成14年(2002年)、失火によって本殿以外の建物が焼失した。その後、平成18年(2006年)に拝殿、幣殿、釣殿が再建され、現在の社頭が整えられた。
色々威甲冑は国指定重要文化財である。佐々木盛綱が奉納したと伝わる甲冑で、明治34年(1901年)8月2日に指定された。また、岡山県指定重要文化財として杏葉形轡一具、桃形轡一具が伝来し、いずれも平成12年(2000年)3月28日に指定されている。
  • 郷社
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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E5%8E%9F%E5%8C%97%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE
岡山県神社庁
https://www.okayama-jinjacho.or.jp/