有名度
前頭龍神宮
りゅうぜんぐう
和歌山県田辺市上秋津龍神山
和歌山県田辺市上秋津龍神山

Yokottakure(wikipedia CC 表示-継承 4.0)
かんたんご利益
- 仕事
- 子供
- 安全
龍神宮には
「仕事系」「子供系」「安全系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
航海安全 漁業繁栄 安産
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「ワタツミ系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
龍神宮は和歌山県田辺市に鎮座する神社。御祭神は上津綿津見神、中津綿津見神、底津綿津見神の3柱をまつる。
創建年代は不詳である。天武天皇13年(684年)創建とする伝承が残る。熊野権現に関わる伝承では、田辺湾に現れた神龍が雲に乗り龍仙山へ登り、この山に鎮まったと伝えられる。田辺湾の神島、神楽島、旗島、神子浜、秋津といった地名も、この伝承の中に現れる。
その後、弘法大師が熊野参詣の途上で田辺を訪れ、高山寺建立に先立ち鬼門の方角にあたる龍仙山へ登ったと伝えられる。弘法大師は山上で護摩を修し、石塔を建てて仏を祀り、さらに京都から愛宕社を勧請して末社としたとされる。崎の堂、崎の塔と呼ばれる大岩にはその跡と伝わる四角形の痕跡が残り、一段下にはハンド地蔵が祀られている。参道には弘法大師が登山の途中に腰掛けたと伝わる岩も残る。
戦国時代には、湯川氏の家臣である栗山三郎勝重が古屋谷の領主となり、龍神宮の祭祀を担ったと伝えられる。山上には城が築かれ、豊臣秀吉の紀州征伐の際には、湯川氏をはじめとする国衆がこの地で軍議を行ったと伝えられる。江戸時代に入ると祭典は周辺の村々によって執り行われ、明治43年(1910年)以降は上秋津の一村によって継承されている。
境内の神木であるウバメガシは、平成11年(1999年)12月に田辺市の天然記念物となり、平成20年(2008年)6月24日に和歌山県の天然記念物に指定された。龍神山は平成27年(2015年)10月7日に名勝「南方曼荼羅の風景地」の一部として指定されている。例祭は旧暦1月15日の春祭りと旧暦8月15日の秋祭りである。
創建年代は不詳である。天武天皇13年(684年)創建とする伝承が残る。熊野権現に関わる伝承では、田辺湾に現れた神龍が雲に乗り龍仙山へ登り、この山に鎮まったと伝えられる。田辺湾の神島、神楽島、旗島、神子浜、秋津といった地名も、この伝承の中に現れる。
その後、弘法大師が熊野参詣の途上で田辺を訪れ、高山寺建立に先立ち鬼門の方角にあたる龍仙山へ登ったと伝えられる。弘法大師は山上で護摩を修し、石塔を建てて仏を祀り、さらに京都から愛宕社を勧請して末社としたとされる。崎の堂、崎の塔と呼ばれる大岩にはその跡と伝わる四角形の痕跡が残り、一段下にはハンド地蔵が祀られている。参道には弘法大師が登山の途中に腰掛けたと伝わる岩も残る。
戦国時代には、湯川氏の家臣である栗山三郎勝重が古屋谷の領主となり、龍神宮の祭祀を担ったと伝えられる。山上には城が築かれ、豊臣秀吉の紀州征伐の際には、湯川氏をはじめとする国衆がこの地で軍議を行ったと伝えられる。江戸時代に入ると祭典は周辺の村々によって執り行われ、明治43年(1910年)以降は上秋津の一村によって継承されている。
境内の神木であるウバメガシは、平成11年(1999年)12月に田辺市の天然記念物となり、平成20年(2008年)6月24日に和歌山県の天然記念物に指定された。龍神山は平成27年(2015年)10月7日に名勝「南方曼荼羅の風景地」の一部として指定されている。例祭は旧暦1月15日の春祭りと旧暦8月15日の秋祭りである。
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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E7%A5%9E%E5%AE%AE
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E7%A5%9E%E5%AE%AE
