淡嶋神社 和歌山県 - 神社ファン

有名度

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淡嶋神社

あわしまじんじゃ

和歌山県和歌山市加太118

😞 🙁 😐 🙂 😄

和歌山県和歌山市加太118

拝殿

Saigen Jiro (wikipedia CC0)

淡嶋神社以外にも 加太神社 とも呼ばれます。


かんたんご利益

  • 健康
  • 子供
淡嶋神社には

「健康系(有名)」「子供系(有名)」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

女性の病気回復 安産 子授け

御祭神

少彦名命 すくなひこなのみこと
大己貴命 おほなむじのみこと
息長足姫命 おきながたらしひめのみこと

神社系統

この神社の主な系統は

あわしま系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

淡嶋神社は和歌山県和歌山市に鎮座する神社。御祭神は少彦名命、大己貴命、息長足姫命の3柱をまつる。
社格は式内社(論社)であり、旧郷社。
創建年代は明らかではない。社伝では、少彦名命と大己貴命は、もとは加太沖に浮かぶ友ヶ島に祀られていたと伝えられる。
神功皇后が三韓出兵から帰還する途中、瀬戸の海上で激しい嵐に遭った。皇后が船中から神に祈ると、船の苫を海へ投げ、その流れに従って進むよう告げられたという。船は友ヶ島へ到着し、皇后は島に祀られていた少彦名命と大己貴命に、持ち帰った宝物を奉納したと伝えられている。
その後、神功皇后の孫にあたる仁徳天皇が友ヶ島を訪れた。仁徳天皇は皇后が崇敬した神であることを知り、少彦名命と大己貴命を友ヶ島から対岸の加太へ遷して社殿を建立し、息長足姫命をあわせて祀ったと伝えられる。社伝では仁徳天皇5年3月3日の遷座とする。
平安時代に編纂された『延喜式』神名帳には、紀伊国名草郡の「加太神社」が記載されており、淡嶋神社をこの式内社に比定する説がある。『扶桑略記』の延喜6年(906)2月7日条には紀伊国の粟島神に従五位上を授けた記事があり、『紀伊国神名帳』には「従四位上粟島大神」の名が記されている。
南北朝時代の正平23年(1368)の「清原重政田地寄進状」には「粟島大明神」の名が記されている。中世には粟島大明神とも称され、江戸時代には加太神社の名も用いられた。
江戸時代には、淡島願人と呼ばれる人々が淡島神を祀る厨子を背負って各地を巡り、淡島神の縁起や神徳を伝えた。淡島信仰は各地へ広まり、女性の病気平癒や安産、子授け、裁縫などを願う参詣が行われた。
社宝には、国の重要文化財に指定されている「金銅造丸鞘太刀 中身無銘」と「大円山形星兜」がある。金銅造丸鞘太刀は大正9年(1920)4月15日、大円山形星兜は大正10年(1921)4月30日に指定された。大円山形星兜には、護良親王が熊野へ赴く途中に奉納したとの伝承が残る。
境内には全国から奉納された雛人形をはじめ、多くの人形が並ぶ。和歌山市の資料では、年間に奉納される人形は約2万体とされている。
毎年2月8日には針祭、3月3日には雛流しが行われる。雛流しでは、奉納された雛人形と願い事を書いた形代を白木の小舟に載せ、神事の後に加太の海へ送り出す。現在の雛流しは昭和37年(1962)に始まり、平成3年(1991)から3隻の舟が用いられている。
  • 郷社
  • 式内社(小 論社)
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神社詳細

公式URL

摂末社・境内社

境内社 紀文稲荷社
稲荷神
境内社 大国主社
大己貴命
境内社 末社
少彦名命
すくなひこなのみこと
大己貴命
おほなむじのみこと
息長足姫命
おきながたらしひめのみこと
八百万の神
末社 遷使殿
少彦命名の使い神であるカエル

例祭

針祭(針供養) 2月8日
雛祭(雛流し) 3月3日
春の大祭 4月3日
たなばた祭 7月1日~7月7日
夏祭 7月31日日没~8月3日
秋の大祭(甘酒祭) 10月3日

文化財

金銅造丸鞘太刀 中身無銘
国 重要文化財
工芸品 大正9年4月15日指定
大円山形星兜
国 重要文化財
工芸品 大正10年4月30日指定

建築

本殿 流造檜皮葺

神紋

情報募集

出典
公式サイト
http://www.kada.jp/awashima/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%A1%E5%B6%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE
国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp