野上八幡宮 - 神社ファン

有名度

前頭

野上八幡宮

のかみはちまんぐう

和歌山県海草郡紀美野町小畑623

和歌山県海草郡紀美野町小畑623

拝殿と本殿

kouko0515(wikipedia CC 表示-継承 3.0)

野上八幡宮以外にも 野上八幡神社 とも呼ばれます。


かんたんご利益

  • 健康
  • 仕事
  • 学業
  • 子供
  • 安全
  • 厄除
  • 家庭
  • 勝負
野上八幡宮には

「健康系」「仕事系」「学業・技芸系」「子供系」「安全系」「厄除・開運系」「家庭系」「勝負系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

国家鎮護 殖産産業 家運隆昌 成功勝利 教育 交通安全 悪病災難除け 子孫繁栄 安産 子育て守護 学業祈願 厄除け 病魔退散 家内安全 開運招福

御祭神

品田和気命 ほんだわけのみこと
息長帯姫命 おきながたらしひめのみこと
玉依姫命 たまよりひめのみこと

神社系統

この神社の主な系統は

八幡系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

野上八幡宮は和歌山県海草郡紀美野町に鎮座する神社。御祭神は品田和気命、息長帯姫命、玉依姫命の3柱をまつる。
社格は旧県社。
創建は欽明天皇13年(552年)と伝わる。神功皇后が三韓遠征からの帰途、誉田御子とともにこの地に逗留したという伝承があり、その後、応神天皇の霊を勧請して八幡宮が建立されたとされる。永延元年(987年)には石清水八幡宮の別宮となった。万寿2年(1025年)には京都御所からの宣命により、本殿・末社・中門・回廊・神楽殿などが造営された。万寿4年(1027年)には放生会をはじめとする神事が石清水八幡宮の社例に準じて行われるようになり、石清水から神職葛葉氏が補任された。
天文10年(1541年)、根来の衆徒が来襲し、社殿・堂社・財宝・文書が焼失した。これにより神事や祭礼も途絶えた。弘治3年(1557年)、近江国出身の真賢上人が再建に着手し、本殿・若宮社・拝殿・武内神社などが再建された。元亀3年(1572年)には現在の本殿が建築され、天正元年(1573年)には拝殿と平野今木神社本殿、天正6年(1578年)には高良玉垂神社本殿が建立された。
慶長6年(1601年)、紀伊和歌山藩初代藩主となった浅野幸長が3石の地を社領として寄進し、鳥居と神輿を奉納した。徳川頼宣は社参を重ね、鳥居の再建や絵馬、石灯籠などを奉納した。明治2年(1869年)、神仏分離により境内にあった本願寺や神宮寺が除去された。明治45年(1912年)には氏子地域の産土神社156社が合祀された。昭和32年(1957年)から3年にわたり解体修理が行われ、平成5年(1993年)および平成6年(1994年)には檜皮屋根の葺き替えと塗り替えが実施された。
社殿では、本殿・拝殿・摂社武内神社本殿・摂社平野今木神社本殿・摂社高良玉垂神社本殿が国指定重要文化財に指定されている。赤銅鳥頸太刀銘真長も国指定重要文化財である。絵馬殿は和歌山県指定文化財、野上八幡宮獅子舞は紀美野町指定無形民俗文化財である。例祭は10月15日に近い日曜日に行われる。境内には鐘楼が残り、神仏分離以前に本願寺と神宮寺が存在した名残が現在まで伝わっている。
  • 県社
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神社詳細

公式URL

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例祭

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文化財

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建築

本殿 三間社流造

神紋

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出典
公式サイト
https://nokami-hachimangu.org/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E4%B8%8A%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE
和歌山県神社庁
https://wakayama-jinjacho.or.jp/