有名度
前頭志野神社
しのじんじゃ
和歌山県紀の川市北志野557番地
和歌山県紀の川市北志野557番地

かんたんご利益
- 子供
- 厄除
- 勝負
志野神社には
「子供系」「厄除・開運系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
公
福徳円満 厄除解除 火の神 安産、子育て守護 勝ち運
御祭神
天言代主命 あめのことしろぬしのみこと
加具土命 かぐつちのみこと
息長帯姫命 おきながたらしひめのみこと
神社系統
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
志野神社は和歌山県紀の川市に鎮座する神社。御祭神は天言代主命、加具土命、息長帯姫命の3柱をまつる。
神功皇后は忍熊王の反乱を討つため紀伊の小竹宮へ進んだ。途中、昼でありながら夜のように暗くなる出来事が起きた。神功皇后は紀直の祖である豊耳を通じて翁に理由を尋ねた。翁は丹生都比売神社の神官である天野祝と志野神社の神官である小竹祝を同じ墓に葬ったことを語った。墓を開いて2人を別々に葬ると、昼と夜の区別が戻ったと伝わる。
中世以前の社殿記録は天正の兵火で焼失したとされる。その後、志野神社は衰退したが、慶安3年(1650年)春、村中で桜池を掘削した際、明神の社殿から夜ごとに霊光が現れ、周辺で地動のような現象があったと『紀伊続風土記』に記される。有賀喜兵衛と木村五郎太夫がこれを注進し、紀州藩主徳川頼宣が本社、末社、瑞籬、鳥居を造営した。万治元年(1658年)には境内山林が寄進された。
神社名は古くは小竹宮と称し、その後に志野神社となり、さらに東屋御前神社と呼ばれた。昭和19年(1944年)10月17日に志野神社へ改称した。境内には小竹祝の塚と伝わる石塔が残る。
年中行事は、1月1日に歳旦祭、1月第3日曜日に祈年祭、6月最終日曜日に住吉祭、10月第3日曜日に例祭、11月最終日曜日に神符守札清祓式が行われる。正遷宮は20年ごとに行われる。
神功皇后は忍熊王の反乱を討つため紀伊の小竹宮へ進んだ。途中、昼でありながら夜のように暗くなる出来事が起きた。神功皇后は紀直の祖である豊耳を通じて翁に理由を尋ねた。翁は丹生都比売神社の神官である天野祝と志野神社の神官である小竹祝を同じ墓に葬ったことを語った。墓を開いて2人を別々に葬ると、昼と夜の区別が戻ったと伝わる。
中世以前の社殿記録は天正の兵火で焼失したとされる。その後、志野神社は衰退したが、慶安3年(1650年)春、村中で桜池を掘削した際、明神の社殿から夜ごとに霊光が現れ、周辺で地動のような現象があったと『紀伊続風土記』に記される。有賀喜兵衛と木村五郎太夫がこれを注進し、紀州藩主徳川頼宣が本社、末社、瑞籬、鳥居を造営した。万治元年(1658年)には境内山林が寄進された。
神社名は古くは小竹宮と称し、その後に志野神社となり、さらに東屋御前神社と呼ばれた。昭和19年(1944年)10月17日に志野神社へ改称した。境内には小竹祝の塚と伝わる石塔が残る。
年中行事は、1月1日に歳旦祭、1月第3日曜日に祈年祭、6月最終日曜日に住吉祭、10月第3日曜日に例祭、11月最終日曜日に神符守札清祓式が行われる。正遷宮は20年ごとに行われる。
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神社詳細
公式URL
摂末社・境内社
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例祭
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文化財
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建築
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神紋
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出典
公式サイト
http://www.eonet.ne.jp/~shinonomiya/
和歌山県神社庁
https://wakayama-jinjacho.or.jp/
http://www.eonet.ne.jp/~shinonomiya/
和歌山県神社庁
https://wakayama-jinjacho.or.jp/
