狭井神社・三輪山登拝口 | 大神神社 - 神社ファン

有名度

関脇

大神神社

おおみわじんじゃ

奈良県桜井市三輪1422

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狭井神社・三輪山登拝口

更新日:2026年9月29日

三輪の神さまの荒魂をお祀りする神社

御本社から北東の方向へ、参道を北に道なりに進んだ先には、大神神社の摂社「狭井神社(さいじんじゃ)」が鎮座しています。拝殿は西向きに建ち、境内には御神体・三輪山への登拝口も設けられています。
狭井神社 鳥居
拝殿は入母屋造、屋根は檜皮葺で、正面には唐破風の向拝が設けられています。後方には渡り廊下と祝詞舎が続き、さらにその奥には本殿が建っています。本殿を持たず三輪山そのものを御神体として拝する御本社とは異なり、狭井神社では本殿を備えています。
歴史は非常に古く、第11代垂仁天皇の御代、渟名城稚姫命(ぬなきわかひめのみこと)が勅命を受けて創祀したと伝えられています。平安時代にまとめられた『延喜式神名帳』には「狭井坐大神荒魂神社五座」と記載される式内社です。
狭井神社 社殿
主祭神は大神荒魂神(おおみわのあらみたまのかみ)。大物主神、姫蹈鞴五十鈴姫命、勢夜多々良姫命、事代主神もお祀りしています。
「荒魂」とは、神の活動的で力強い働きを表す神霊です。三輪の大神の荒魂が持つ強いご神威によって病魔を鎮めると信仰され、狭井神社は古くから病気平癒・身体健康の神として篤い崇敬を集めてきました。
狭井神社は「花鎮社」とも呼ばれます。春に花が咲き散る頃には疫神も活発になり、疫病が流行すると考えられていた古代の信仰と結びつき、疫病を鎮める「鎮花祭」が現在まで受け継がれています。
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三輪山登拝口

狭井神社の境内、拝殿に向かって右側には三輪山への登拝口があります。
大神神社の御神体である三輪山は、古くから神が鎮まる神聖な山として崇められてきました。かつては禁足の山として入山が厳しく制限されていましたが、現在は一般的な登山ではなく、御神体をお参りする「登拝」を目的とする人に入山が許可されています。
登拝を希望する場合は狭井神社で受付を行い、登拝料を納め、必要事項を記入して手続きを行います。山中では水分補給以外の飲食、火気の使用、写真・動画撮影などは禁止されています。
三輪山登拝口
登拝口から山頂までは約1時間、往復では約2時間、距離は約4kmです。山頂付近には大物主大神が鎮まるとされる奥津磐座があり、三輪山そのものを神の鎮まる場所として拝する大神神社の信仰を、身をもって感じる登拝となります。
ただし、三輪山は観光登山やハイキングをする山ではありません。御神体そのものに足を踏み入れる神事としての登拝です。祭典や天候、夏季の暑さなどによって登拝中止や受付時間の変更が行われる場合もあるため、登拝を目的に訪れる場合は事前に最新情報を確認しておく必要があります。

1300年以上続く「鎮花祭」

御本社と狭井神社では、毎年4月18日に「鎮花祭(ちんかさい・はなしずめのまつり)」が行われます。「薬まつり」とも呼ばれる、大神神社を代表する古い祭典です。
古代には春になって花が咲き散る頃、疫神も花とともに飛散して疫病をもたらすと考えられていました。疫病を鎮め、人々の無病息災を祈る祭祀として行われ、701年の『大宝令』では国家の疫病除けの祭祀として毎年行うことが定められました。
現在の祭典はまず御本社で行われ、引き続いて狭井神社で斎行されます。奈良県内をはじめ、大阪の道修町や京都などから製薬業者、薬業・医療関係者が参列し、多くの医薬品が神前に奉献されることから「薬まつり」の名でも親しまれています。
神前には特殊神饌として、三輪山に自生する薬草の忍冬(すいかずら)と笹百合の根が供えられます。病気平癒の信仰を集める狭井神社ならではの神饌です。
鎮花祭が終わると、季節の授与品として「鎮花御幣」「忍冬酒」「忍冬飴」の授与も始まります。鎮花御幣は「疫病除御幣」とも呼ばれ、健康長寿を祈念したものです。忍冬酒と忍冬飴には三輪山の忍冬と狭井神社の御神水が使われています。
701年の『大宝令』にも規定された疫病除けの祭祀が、現代では全国の薬業・医療関係者が集まる「薬まつり」として受け継がれているところに、狭井神社の長い病気平癒信仰を見ることができます。

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