有名度
関脇石上神宮
いそのかみじんぐう
奈良県天理市布留町384
摂社 出雲建雄神社・出雲建雄神社拝殿 末社 猿田彦神社
更新日:2026年5月28日
出雲建雄神社
摂社・出雲建雄神社(いずもたけおじんじゃ)は、天神社・七座社と同じエリアの小高い場所に鎮座しています。御祭神は、草薙剣(くさなぎのつるぎ)の荒魂とされる出雲建雄神(いずもたけおのかみ)です。江戸時代には、出雲建雄神は布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)の御子と考えられていたことから、「若宮」の名で呼ばれていました。
神主・布留邑智(ふるのおち)が、「布留川の上に立ちわく雲の中で神剣が輝いている」という夢を見たことが始まりとされています。翌朝、布留川へ向かった布留邑智は神の託宣を受けました。
その託宣では、
「吾は尾張氏の女が祭る神である。今この地に天降って、皇孫を保じ、諸民を守ろう」
と告げられたと伝えられています。布留邑智はその神意を受け、この地に社殿を建立し、出雲建雄神をお祀りしたとされています。

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出雲建雄神社拝殿
出雲建雄神社の社殿向かい側には、国宝に指定されている「出雲建雄神社拝殿」が建っています。この拝殿は、もともと石上神宮南方に存在した大寺院・内山永久寺(うちやまえいきゅうじ)の鎮守社である住吉社の拝殿でした。内山永久寺は永久年間(1113~1118年)に創建された大和有数の大寺院で、住吉社は1137年(保延3)に建立されたと伝えられています。その後、13~14世紀に改築が行われ、現在の姿になったと考えられています。
しかし、明治時代の神仏分離令によって内山永久寺は1876年(明治9)に廃絶となりました。住吉社はそのまま残されていましたが、1890年(明治23)に本殿が焼失。拝殿のみが残されたため、1914年(大正3)に現在地へ移築され、出雲建雄神社の拝殿となりました。
拝殿は、桁行5間・梁間1間の細長い建築で、最大の特徴は中央1間だけ床を張らず、土間の通路としている点です。この形式は「割拝殿(わりはいでん)」と呼ばれ、中央の通路部分は「馬道(めどう)」とも呼ばれています。本殿へ通り抜ける構造を持つ非常に珍しい形式で、出雲建雄神社拝殿は現存最古の割拝殿として知られています。
屋根は緩やかな切妻造・檜皮葺で、中央通路上部には唐破風が設けられています。この唐破風は両側の屋根に載せ掛ける古い形式を残しており、鎌倉時代建築の特徴を今に伝えています。また、柱や格子、舟肘木、軒下の垂木などは木取りが細く、全体的に繊細で優美な意匠を見ることができます。緩やかな屋根勾配や輪垂木の流麗な曲線も、この建築の大きな見どころとなっています。
出雲建雄神社拝殿は、建築史上貴重な割拝殿であるだけでなく、石上神宮が中世まで神仏習合色の強い神社であったことを今に伝える建築でもあります。内山永久寺の鎮守社建築が移築されていること自体が、かつて神社と寺院が一体となって信仰されていた歴史を物語っています。

猿田彦神社
猿田彦神社の主祭神は、猿田彦神(さるたひこのかみ)です。配祀神として、底筒男神(そこつつのおのかみ)・中筒男神(なかつつのおのかみ)・上筒男神(うわつつのおのかみ)・息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)・高?神(たかおかみのかみ)をお祀りしています。1910年(明治43)には、住吉社の御祭神も合祀されました。かつては布留山の山上に祀られており、「山上幸前(やまのうえこうぜん)」「祭王御前(さいおうごぜん)」「道祖神社(どうそじんじゃ)」などの名で信仰されていました。その後、1877年(明治10)に現在の場所へ遷座したと伝えられています。
現在も毎年3月28日に例祭が斎行されています。

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