高嶺神社 兵庫県 - 神社ファン

有名度

前頭

高嶺神社

たかみねじんじゃ

兵庫県赤穂郡上郡町山野里2745番

兵庫県赤穂郡上郡町山野里2745番

かんたんご利益

  • 健康
  • 仕事
  • 厄除
高嶺神社には

「健康系」「仕事系」「厄除・開運系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

災難除け 疫病除け 五穀豊穣

御祭神

須佐之男命 すさのおのみこと
足那豆乳命 あしなづちのみこと
手那豆乳命 てなづちのみこと
奇稲田姫命 くしいなだひめのみこと

神社系統

この神社の主な系統は

祇園・須佐系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

高嶺神社は兵庫県赤穂郡上郡町に鎮座する神社。御祭神は須佐之男命、足那豆乳命、手那豆乳命、奇稲田姫命の4柱をまつる。
社格は旧県社。
高嶺神社の創建は天禄3年(972年)にさかのぼる。伝承によれば、当時の播磨国に疫病が流行した際、夜ごと天から光が降り、有明山からも光が立ちのぼる異変が起こった。この光は山野里の神田柳田森に至り、これを受けて牛頭天王、すなわち須佐之男命を祀るよう勅命が下されたという。社を祀ったのち疫病は収まり、人々は平穏を取り戻したと伝えられる。当初は神田柳田森付近で勅願所として祭祀が行われていたが、のちに高峯山山頂へ遷され、「高峯山牛頭天王」と称して祀られるようになった。山岳信仰と疫神信仰が重なりながら、現在の社地が形成された経緯がうかがえる。万寿2年(1025年)には特別な大祭が行われ、応徳元年(1085年)にも再び大祭が営まれた。これを契機として、災害や疫病、事変から国家と地域の安寧を祈る60年ごとの大開帳が行われるようになったと伝えられる。足利尊氏は九州へ向かう際に当社で再起勝運を祈願し、その後社を再興して七堂伽藍を整え、寄進を行ったとされる。さらに赤松円心、山名持豊、池田輝政、浅野氏らの崇敬を受け、播磨にとどまらず備前・備中・因幡にまで信仰が広がった。
高嶺神社本殿は上郡町指定の有形文化財である。室町時代の建築様式を残しつつ、江戸時代中期頃に改修が施され、古材を生かしながら補強的に修繕された建物とされる。
祭礼では、4月第2日曜日に行われるお田植祭・穂揃祭が知られる。田男と早乙女が拝殿前の仮田で田植えの所作を行い、108本の稲穂を奉納して豊作を祈る農耕儀礼で、町指定の無形民俗文化財となっている。10月第2日曜日の神幸祭では、山上の本殿から御祭神を迎え、神輿倉を経て御旅所まで300人以上の行列が供奉する。
  • 県社
スポンサーリンク

神社詳細

公式URL

摂末社・境内社

情報募集

例祭

情報募集

文化財

情報募集

建築

情報募集

神紋

情報募集

出典
公式サイト
https://www.takaminejinja.jp/