積川神社 - 神社ファン

有名度

前頭

積川神社

つがわじんじゃ

大阪府岸和田市積川町350

大阪府岸和田市積川町350

拝殿と二の鳥居

KENPEI(wikipedia CC 表示-継承 3.0)

かんたんご利益

  • 子供
  • 安全
  • 家庭
積川神社には

「子供系」「安全系」「家庭系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

住居守護 安産 旅行安全

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

坐摩系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

積川神社は大阪府岸和田市に鎮座する神社。御祭神は生井神、栄井神、綱長井神、阿須波神、波比岐神の5柱をまつる。
社格は式内社であり、旧郷社。
創建は崇神天皇の御代にさかのぼると伝えられる。延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳に名が見えることから、平安時代前期にはすでに朝廷の祭祀体系に組み込まれていた神社である。さらに貞観6年(864年)に従四位下、貞観15年(873年)に従四位上を授けられており、早くから朝廷の崇敬を受けていた。
中世に入ってもその地位は高く、永万元年(1165年)には和泉五社の一社として記録に見え、神祇官に関わる有力社であった。養和元年(1181年)には今熊野社領の荘園の一つとして寄進されたことが伝わり、熊野御幸の往来とも関係をもっていた。白河上皇が熊野御幸の途上で遥拝し、「正一位積川大明神」の扁額を書いたとする社伝も残る。
戦国期には天正3年(1575年)に織田信長から社領を安堵されたが、天正13年(1585年)には豊臣秀吉によって社領が没収された。その後も社勢は維持され、慶長8年(1603年)には豊臣秀頼が片桐且元に命じて本殿の大修理を行わせている。
近代に入ると、明治39年(1906年)の神社合祀政策の影響を受けつつも、地域の反対により一部の神社は存続した。一方で明治40年(1907年)には八坂神社、菅原神社、白鬚社が合祀され、地域の信仰の中心としての性格を強めた。
本殿は三間社流造、正面千鳥破風付、桧皮葺で、国の重要文化財に指定されている。桃山期の修理を伝える建築であり、現在も当時の意匠を残す。神体の木造男女神像8体は鎌倉時代の作とされ、熊野街道に面した遥拝鳥居に掲げられていた木造扁額も大阪府指定文化財となっている。例祭は10月8日に行われる。
  • 四宮(和泉国)
  • 郷社
  • 式内社(小)
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神社詳細

摂末社・境内社

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例祭

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文化財

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建築

本殿 三間社流造

神紋

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%8D%E5%B7%9D%E7%A5%9E%E7%A4%BE
大阪府神社庁
https://www.osaka-jinjacho.jp/