有名度
関脇石切劔箭神社
いしきりつるぎやじんじゃ
大阪府東大阪市東石切町1-1-1
絵馬殿・安岡正篤の碑文・牛の像
更新日:2026年9月9日
剣と矢を掲げる楼門形式の絵馬殿
境内入口に建つ絵馬殿は、石切劔箭神社を代表する建築物の一つです。かつては御神木の西側、現在の祓所付近に絵馬堂がありましたが、昭和29年(1954)に焼失しました。その後、昭和35年(1960)に現在の絵馬殿が造営されています。
木造2階建て、銅板葺の建物で、梁間4間、三間一戸の楼門形式です。「絵馬殿」という名称ですが、参道をまたいで建つ門としての役割も持っています。



令和7年(2025)3月13日には、石切劔箭神社の本殿、拝殿及び幣殿、透塀とともに国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。文化財としても、棟上に剣と矢を飾った独創的な意匠を持つ楼門風の絵馬殿として評価されています。

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安岡正篤が石切大神を讃えた碑文
絵馬殿の左手には、日本の思想家・陽明学者として知られる安岡正篤の碑があります。碑に刻まれているのは、次の言葉です。
神 明 如 日 升
身 體 如 鼎 鎮
「神明は日の升るが如く、身體は鼎の鎮するが如し」と読みます。
安岡正篤が昭和55年(1980)10月19日に石切劔箭神社を参拝した際に詠んだもので、石切大神の御神徳は日の昇るようであり、参詣すれば心身ともに清まり、鼎が据えられたように自ら鎮まる、という意味が込められています。
「鼎(かなえ)」とは、古代中国で使われた3本の脚を持つ金属製の器です。
碑の除幕式は、安岡正篤の参拝から6年後となる昭和61年(1986)10月25日に行われました。

絵馬殿近くにある親子の牛像
絵馬殿をくぐってすぐ左手には、寄り添うように並んだ親子の牛像が安置されています。昭和60年(1985)、農作業に力を尽くしてきた牛への感謝と五穀豊穣を祈る「献牛祭」の復活に伴って奉納されたものです。絵馬殿を通り抜けると目に入りやすい場所にあるため、屋根の剣と矢や随身像だけでなく、こちらの親子の牛にも注目してみてください。

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