有名度
関脇石切劔箭神社
いしきりつるぎやじんじゃ
大阪府東大阪市東石切町1-1-1
穂積神霊社・穂積地蔵尊・一願成霊尊・乾明神社
更新日:2026年9月9日
御本殿の裏手には、穂積神霊社、穂積地蔵尊、一願成霊尊、乾明神社など、それぞれ異なる由緒や信仰を持つ場所が集まっています。
御本殿を参拝した後は、そのまま裏手まで回って参拝してみてください。
ここに祀られているのは、かつて御本殿の裏手にあった「穂積堂」に祀られていた御神霊です。
穂積堂は明治時代初期、石切劔箭神社の第104代宮司・木積一路翁が郷学校を開き、地域の子弟教育に尽力した場所でした。この郷学校は現在の石切小学校の前身にあたります。
しかし穂積堂は昭和45年(1970)に焼失。その後、穂積堂に祀られていた御神霊が現在の穂積神霊社に再び祀られました。
穂積神霊社は病魔除け、災難除け、学問向上の信仰を集めています。
社殿前には3つの石が並び、中央の石には「九頭神」と刻まれています。この3つの石を順番に撫でて参拝すると、病魔除け・災難除け・学問向上の御利益があるといわれています。
朱色の鳥居が連なる参道と、その先に並ぶ3つの撫で石は、穂積神霊社で見ておきたい特徴的な場所です。
石切劔箭神社には、かつて天台宗の法通寺という神宮寺がありました。
法通寺は室町時代に兵火に遭うまで存在し、そこに安置されていた地蔵尊4体が石切劔箭神社へ遷されました。
さらに法通寺跡に建てられた穂積堂には3体の霊神像が祀られていましたが、昭和45年(1970)に穂積堂が焼失したため、この3体も穂積殿へ遷されました。
現在は、法通寺から伝わった地蔵尊4体と穂積堂の霊神像3体を合わせて「穂積地蔵七神」と呼び、多くの人々から親しまれています。
神社の境内に地蔵尊が祀られているのは、石切劔箭神社に神宮寺が置かれていた神仏習合の歴史を現在に伝える見どころでもあります。
うぃき野郎 (Wikipedia CC 表示-継承 4.0)
通常、穂積殿の門は閉じられていますが、毎月7日・17日・27日の「穂積地蔵尊御縁日」には開門され、参拝することができます。
毎年8月23日・24日には「穂積地蔵盆」が行われ、24日には「穂積地蔵祭」が斎行されます。
一願成霊尊は、その名の通り「一生に一度だけの願いごとを叶えてくださる」といわれています。
病気平癒や学業など特定の願いに限らず、自分にとって一生に一度の大切な願いを託して参拝する場所です。
「一生に一度」と聞くと何を願うべきか迷ってしまいますが、それだけに自分にとって本当に大切な願いを考えてから参拝したい場所です。
御祭神は應壅乾幸護大明神(おうよういぬいさぢもりだいみょうじん)。もとは江戸時代中期、この地で庄屋を務めていた乾市良兵衛という人物です。
乾市良兵衛は学問に優れ、村で起こるさまざまな問題を解決し、人々から厚い信望を集めていたと伝えられています。
しかし当時の村人たちは飢饉や重税に苦しんでいました。乾市良兵衛は人々を救うため、その代表としてお上へ直訴し、その罪によって極刑に処せられました。
その後、天明7年(1787)、代官であった小堀家によって應壅乾幸護大明神として祀られました。
生前に優れた知恵と人徳によって人々を助けた人物であったことから、神として祀られた後もその徳を慕う人々の信仰を集めました。
現在も「智恵の神様」「学問の神様」として信仰され、学問成就を願う参拝者が訪れています。
毎年10月2日には乾明神社例祭が斎行されます。
御本殿を参拝した後は、そのまま裏手まで回って参拝してみてください。
3つの撫で石がある穂積神霊社
御本殿横の渡り廊下の先へ進むと、朱色の鳥居が見えてきます。いくつもの鳥居が連なる先に鎮座しているのが穂積神霊社(ほづみしんれいしゃ)です。ここに祀られているのは、かつて御本殿の裏手にあった「穂積堂」に祀られていた御神霊です。

しかし穂積堂は昭和45年(1970)に焼失。その後、穂積堂に祀られていた御神霊が現在の穂積神霊社に再び祀られました。
穂積神霊社は病魔除け、災難除け、学問向上の信仰を集めています。

朱色の鳥居が連なる参道と、その先に並ぶ3つの撫で石は、穂積神霊社で見ておきたい特徴的な場所です。

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法通寺の歴史を伝える穂積地蔵七神
御本殿の真裏に建つ穂積殿には「穂積地蔵尊」が祀られています。石切劔箭神社には、かつて天台宗の法通寺という神宮寺がありました。
法通寺は室町時代に兵火に遭うまで存在し、そこに安置されていた地蔵尊4体が石切劔箭神社へ遷されました。
さらに法通寺跡に建てられた穂積堂には3体の霊神像が祀られていましたが、昭和45年(1970)に穂積堂が焼失したため、この3体も穂積殿へ遷されました。
現在は、法通寺から伝わった地蔵尊4体と穂積堂の霊神像3体を合わせて「穂積地蔵七神」と呼び、多くの人々から親しまれています。
神社の境内に地蔵尊が祀られているのは、石切劔箭神社に神宮寺が置かれていた神仏習合の歴史を現在に伝える見どころでもあります。
うぃき野郎 (Wikipedia CC 表示-継承 4.0)毎年8月23日・24日には「穂積地蔵盆」が行われ、24日には「穂積地蔵祭」が斎行されます。

一生に一度の願いを託す一願成霊尊
穂積殿の右手、正面から見ると左手側には「一願成霊尊(いちがんじょうれいそん)」があります。一願成霊尊は、その名の通り「一生に一度だけの願いごとを叶えてくださる」といわれています。
病気平癒や学業など特定の願いに限らず、自分にとって一生に一度の大切な願いを託して参拝する場所です。
「一生に一度」と聞くと何を願うべきか迷ってしまいますが、それだけに自分にとって本当に大切な願いを考えてから参拝したい場所です。

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村人を救うため直訴した庄屋を祀る乾明神社
御本殿の裏手、左側に鎮座しているのが乾明神社(いぬいみょうじんしゃ)です。御祭神は應壅乾幸護大明神(おうよういぬいさぢもりだいみょうじん)。もとは江戸時代中期、この地で庄屋を務めていた乾市良兵衛という人物です。
乾市良兵衛は学問に優れ、村で起こるさまざまな問題を解決し、人々から厚い信望を集めていたと伝えられています。
しかし当時の村人たちは飢饉や重税に苦しんでいました。乾市良兵衛は人々を救うため、その代表としてお上へ直訴し、その罪によって極刑に処せられました。
その後、天明7年(1787)、代官であった小堀家によって應壅乾幸護大明神として祀られました。
生前に優れた知恵と人徳によって人々を助けた人物であったことから、神として祀られた後もその徳を慕う人々の信仰を集めました。
現在も「智恵の神様」「学問の神様」として信仰され、学問成就を願う参拝者が訪れています。
毎年10月2日には乾明神社例祭が斎行されます。

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