拝殿・本殿・御神木 | 石切劔箭神社 - 神社ファン

有名度

関脇

石切劔箭神社

いしきりつるぎやじんじゃ

大阪府東大阪市東石切町1-1-1

拝殿・本殿・御神木

更新日:2025年6月27日

拝殿・本殿

石切劔箭神社は約700年前の足利時代末、戦で社殿が焼失したため、御鎮座時期がいつなのかはっきりしたことはわかっていません。しかし865(貞観7)年の「三代実録」や、927(延長5)年の「延喜式神名帳」にはその名が記されており、古くから信仰を集めていたことがわかります。
石切剣箭神社 拝殿 斜め
1536(天文5)年の「遺書伝来記」には、神武天皇紀元2年、宮山に「上之社(かみのしゃ)」が建てられたことが起源とされ、10代天皇・崇神天皇の時代、こちらの「下之社(しものしゃ、本社)」に可美真手命(うましまでのみこと)がお祀りされたことが記されています。現在御社は宮山の奥宮、光堂山の上之社、こちらの本社(下之社)の3社です。
下之社の拝殿は銅板葺の平入入母屋造で、百度参りの参拝者で常に賑わっています。
石切剣箭神社 本殿
本殿は1932(昭和7)年に建立されました。両隣の神輿殿、授与所と渡り廊下で結ばれています。また本殿側壁は、側面にハニカム構造の枠のある六角ガラスで覆われています。六角系の模様は亀の甲羅、亀紋にも見えます。ちなみに亀紋は出雲系の神社によく見られます。石切劔箭神社には水神社があり、以前は祈り亀といって本物の亀の甲羅に願いを書いて奉納していました。現在は神霊池で、陶器で出来た亀の像を奉納しています。

御祭神・ご利益

石切劔箭神社の御祭神は饒速日尊(にぎはやひのみこと)と、饒速日尊の御子である可美真手命(うましまでのみこと)です。2柱合わせて石切大明神とも呼ばれます。日本書紀では饒速日尊は天照大神の孫で神武東征に先立ち「十種(とくさ)の神宝(かんだから)」を携えて河内国に降り立ち大和国に移動し、神武天皇と力を合わせ、大和地方治めたとされています。
石切大明神は「御神威が強固な岩でさえも切り裂き貫き通すほど偉大である」と言われ、切り裂く力はでんぼ(腫れ物)を切り治すとされています。腫れ物はイボだけでなく、ガンなどの腫瘍もあるため、がん封じの神として有名になり、転じて病気を治してくれる神様として全国的に病気平癒の神として信仰されています。
石切劔箭神社は本殿の裏手に回ることができます。拝殿より近くで神様に参拝できるということで、より願いが届くと言われていますので、こちらからの参拝もおすすめします。
石切剣箭神社 本殿裏

御神木

拝殿に向かって左手前側には、御神木である楠が立っています。樹齢は約470年。幹の周囲は約5.7m、樹高は約15mです。1980(昭和55)年に、東大阪市(旧枚岡市)の天然記念物に指定されました。
御神木

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