綱敷天神社 - 神社ファン

有名度

前頭

綱敷天神社

つなしきてんじんしゃ

大阪府大阪市北区神山町9-11

大阪府大阪市北区神山町9-11

鳥居と神門

Barsaka2(wikipedia CC 表示-継承 4.0)

綱敷天神社以外にも 神野太神宮 とも呼ばれます。


かんたんご利益

  • 学業
綱敷天神社には

「学業・技芸系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

学業成就、商売繁盛、方除け、開運

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

「不明(1柱)」 「天満・天神系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

綱敷天神社は大阪府大阪市北区に鎮座する神社。御祭神は嵯峨天皇(神野太神宮)、菅原道眞公(綱敷天神)の2柱をまつる。
社格は旧郷社。
由緒は、弘仁13年(822年)に嵯峨天皇がこの地に行幸したことに始まると伝えられる。嵯峨天皇の崩御後、源融がその菩提を弔うため太融寺を創建し、承和10年(843年)には嵯峨天皇を祀る神野太神宮が創建されたと伝えられており、これが綱敷天神社の起こりとされる。その後、昌泰4年(901年)に大宰府へ左遷される途中の菅原道真がこの地に立ち寄り、紅梅を眺めるため船の艫綱を円座のように敷いて腰を下ろしたという伝承が残る。この故事が「綱敷」の社名の由来とされ、道真をもてなして団子を供えたという伝えも残っている。道真の死後、人々はその紅梅の下に小祠を営み、これがのちの梅塚天満宮、すなわち現在の御旅社の前身になったと伝えられる。
正暦4年(993年)、道真の冤罪が解かれて正一位太政大臣が追贈されると、その神霊が神野太神宮に勧請されて合祀された。これにより綱敷天神、北野天神としての信仰が定まり、梅塚天満宮は御旅社とされた。社はその後、南北朝の戦乱で罹災し、寛正2年(1461年)に再建されたと伝えられるなど、度重なる被災と再建を経て現在に至っている。
綱敷天神社では1月15日の御粥祭、7月15日の例祭、10月15日の秋祭などの祭礼が行われ、梅田の鎮守として地域の信仰を今に伝えている。
  • 郷社
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出典
公式サイト
http://www.tunashiki.com/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%B1%E6%95%B7%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE
大阪府神社庁
https://www.osaka-jinjacho.jp/