有名度
前頭上位鍬山神社
くわやまじんじゃ
京都府亀岡市上矢田町上垣内22−2
京都府亀岡市上矢田町上垣内22−2

Saigen Jiro(wikipedia CC0)
鍬山神社以外にも 矢田社 とも呼ばれます。
かんたんご利益
- 健康
- 仕事
鍬山神社には
「健康系」「仕事系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
公
国土経営 農業 疫神送り 医薬温泉
御祭神
鍬山宮
大己貴神 おおなむちのかみ
八幡宮
応神天皇(誉田別尊) おうじんてんのう(ほむだわけのみこと)
神社系統
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
鍬山神社は京都府亀岡市に鎮座する神社。御祭神は大己貴神、応神天皇(誉田別尊)の2柱をまつる。
社格は式内社であり、旧県社。
創祀は和銅2年(709)と伝えられる。社伝によれば、かつて亀岡盆地が「丹の湖」と呼ばれる湖であった頃、盆地南端の黒柄山に大己貴神をはじめとする出雲の神々が集まり、樫舟に乗って浮田の峡、現在の保津峡を鍬や鋤で開削したという。湖の水は山城国側へ流れ、跡地には耕地が生まれたと伝えられる。開削に用いた鍬が山のように積み上げられたことから、「鍬山」の名が生まれたとも伝わる。
創祀当初は現在地ではなく、面降山の裏側にあたる医王谷に鎮座していたとされる。平安時代の医家で、永観2年(984)に『医心方』を著した丹波康頼も鍬山神を崇敬したと伝えられている。
延長5年(927)に完成した『延喜式』の神名帳には、丹波国桑田郡の神社として「鍬山神社」が記載された。
永万元年(1165)には、天岡峯に弓矢を帯びた武人の姿の神が降臨したとの伝承があり、誉田別尊を八幡宮として祀った。その後、社殿に嫗の舞楽面が降り、皇居に降ったとされる翁面とともに神宝として祀られたと伝わる。天岡峯はこの伝承から面降山とも呼ばれるようになった。
天正19年(1591)、亀山城主であった豊臣秀俊の家臣・渡辺勘右衛門尉は、鍬山神社へ御供・灯明・祈祷料として3石5斗4升7合を寄進した。同年の掟書には、神社付近で牛馬をつなぐことや山林の竹木を伐採することを禁じる内容が記されている。
慶長15年(1610)には、亀山藩主岡部長盛が神社境内における禁止事項を定めた禁制を出した。これらの文書は鍬山神社に伝来し、現在は亀岡市文化資料館に寄託されている。
寛永11年(1634)に亀山へ入封した菅沼定芳は、翌寛永12年(1635)、矢田郷のうち10石を矢田八幡宮へ寄進した。寛永16年(1639)には鍬山神社を再興し、翌寛永17年(1640)にも矢田八幡宮と鍬山神社へ米を寄進した。その後も鍬山神社は歴代の亀山城主から保護を受けた。
境内には、大己貴神を祀る鍬山宮と誉田別尊を祀る八幡宮の2棟の本殿が並んで鎮座する。両本殿は「鍬山神社本殿及び境内社八幡宮本殿」として京都府登録有形文化財に登録されている。また、境内には多数のモミジが植えられ、古くから「矢田の紅葉」と呼ばれてきた。
秋季大祭は10月に斎行される。10月20日の神幸祭では鍬山宮と八幡宮の2基の神輿が御旅所の形原神社へ向かい、10月25日の還幸祭では神輿をはじめ、各町の代表、氏子総代、獅子行列などが旧亀山城下を巡行して鍬山神社へ還る。このほか、5月8日の八ヶ日祭、7月2日の水無月祭、11月頃の紅葉祭、12月3日の御火焚祭などが斎行されている。
社格は式内社であり、旧県社。
創祀は和銅2年(709)と伝えられる。社伝によれば、かつて亀岡盆地が「丹の湖」と呼ばれる湖であった頃、盆地南端の黒柄山に大己貴神をはじめとする出雲の神々が集まり、樫舟に乗って浮田の峡、現在の保津峡を鍬や鋤で開削したという。湖の水は山城国側へ流れ、跡地には耕地が生まれたと伝えられる。開削に用いた鍬が山のように積み上げられたことから、「鍬山」の名が生まれたとも伝わる。
創祀当初は現在地ではなく、面降山の裏側にあたる医王谷に鎮座していたとされる。平安時代の医家で、永観2年(984)に『医心方』を著した丹波康頼も鍬山神を崇敬したと伝えられている。
延長5年(927)に完成した『延喜式』の神名帳には、丹波国桑田郡の神社として「鍬山神社」が記載された。
永万元年(1165)には、天岡峯に弓矢を帯びた武人の姿の神が降臨したとの伝承があり、誉田別尊を八幡宮として祀った。その後、社殿に嫗の舞楽面が降り、皇居に降ったとされる翁面とともに神宝として祀られたと伝わる。天岡峯はこの伝承から面降山とも呼ばれるようになった。
天正19年(1591)、亀山城主であった豊臣秀俊の家臣・渡辺勘右衛門尉は、鍬山神社へ御供・灯明・祈祷料として3石5斗4升7合を寄進した。同年の掟書には、神社付近で牛馬をつなぐことや山林の竹木を伐採することを禁じる内容が記されている。
慶長15年(1610)には、亀山藩主岡部長盛が神社境内における禁止事項を定めた禁制を出した。これらの文書は鍬山神社に伝来し、現在は亀岡市文化資料館に寄託されている。
寛永11年(1634)に亀山へ入封した菅沼定芳は、翌寛永12年(1635)、矢田郷のうち10石を矢田八幡宮へ寄進した。寛永16年(1639)には鍬山神社を再興し、翌寛永17年(1640)にも矢田八幡宮と鍬山神社へ米を寄進した。その後も鍬山神社は歴代の亀山城主から保護を受けた。
境内には、大己貴神を祀る鍬山宮と誉田別尊を祀る八幡宮の2棟の本殿が並んで鎮座する。両本殿は「鍬山神社本殿及び境内社八幡宮本殿」として京都府登録有形文化財に登録されている。また、境内には多数のモミジが植えられ、古くから「矢田の紅葉」と呼ばれてきた。
秋季大祭は10月に斎行される。10月20日の神幸祭では鍬山宮と八幡宮の2基の神輿が御旅所の形原神社へ向かい、10月25日の還幸祭では神輿をはじめ、各町の代表、氏子総代、獅子行列などが旧亀山城下を巡行して鍬山神社へ還る。このほか、5月8日の八ヶ日祭、7月2日の水無月祭、11月頃の紅葉祭、12月3日の御火焚祭などが斎行されている。
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神社詳細
公式URL
摂末社・境内社
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例祭
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文化財
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建築
本殿 権現造
神紋
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出典
公式サイト
http://www.kuwayama-jinjya.jp/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8D%AC%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE
京都府神社庁
http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/
http://www.kuwayama-jinjya.jp/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8D%AC%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE
京都府神社庁
http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/
