溝谷神社 - 神社ファン

有名度

前頭

溝谷神社

みぞたにじんじゃ

京都府京丹後市弥栄町溝谷フキノオカ46-2

京都府京丹後市弥栄町溝谷フキノオカ46-2

社殿

Asturio Cantabrio (wikipedia CC 表示-継承 4.0)

かんたんご利益

  • 健康
  • 仕事
  • 厄除
溝谷神社には

「健康系」「仕事系」「厄除・開運系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

災難除け 疫病除け 五穀豊穣 国家隆昌 生命力向上

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

祇園・須佐系」 「伊勢・神明系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

溝谷神社は京都府京丹後市に鎮座する神社。御祭神は須佐之男命、天照皇大神、豊宇加能売命の3柱をまつる。
社格は式内社であり、旧村社。
創建は不詳である。社伝によれば、四道将軍の1人とされる丹波道主命が神夢を受け、山麓の水口に新宮を建立し天下泰平を祈念したことを起源とする。この地を水の流れるところにちなみ溝谷の庄と称したと伝える。また、道主命の子で神功皇后に仕え、新羅の鎮守将軍となった大矢田宿禰が、帰朝の無事を須佐之男命の神徳に願い、帰国後に社殿を改めて新羅大明神として祀ったと伝わる。これにより航海守護の神として崇敬を集め、絵馬堂には間人の漁師が寄進した模型船が伝わるとされる。中世以降の伝承としては、丹後守となった平重盛が武運長久を祈願して再興したと伝える。さらに天正年間(1573年~1592年)には織田信長が社殿を改築し、新羅大明神の神号を記した額を鋳造して奉納したとの伝承がある。その金属製額は社宝として伝来するとされる。近世後期には皇室関係の祈祷を執行した記録があり、文久3年(1863年)に勅願による祈祷を行い、その後も御撫物や御用札を預かり祈祷を命ぜられたと伝えられている。これらは社宝として伝来する。
境内の溝谷神社石灯籠は京都府指定文化財である。花崗岩製で八角形の火袋と円筒竿を備え、無銘ながら鎌倉時代後期の制作と考えられると京丹後市が解説している。社伝では明智光秀の奉納と伝える。例祭は毎年10月第2土曜日・日曜日に斎行される。
  • 村社
  • 式内社(不明)
スポンサーリンク

神社詳細

摂末社・境内社

情報募集

例祭

情報募集

文化財

情報募集

建築

本殿 一間社流造

神紋

情報募集

出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%9D%E8%B0%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE
京都府神社庁
http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/