有名度
前頭東口本宮冨士浅間神社
ひがしぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ
静岡県駿東郡小山町須走126
静岡県駿東郡小山町須走126

NOZO(wikipedia CC 表示-継承 3.0)
東口本宮冨士浅間神社以外にも 須走浅間神社 とも呼ばれます。
かんたんご利益
- 健康
- 仕事
- 子供
- 安全
東口本宮冨士浅間神社には
「健康系」「仕事系」「子供系」「安全系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
公
子授け 安産 鎮火 子育て 国土開拓 治療・薬学の神 稲穂・穀物の神
御祭神
公
主祭神
木花咲耶姫命 このはなさくやひめのみこと
相殿神
大己貴命 おおなむちのみこと
相殿神
彦火火出見命 ひこほほでみのみこと
神社系統
この神社の主な系統はです。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
東口本宮冨士浅間神社は静岡県駿東郡小山町に鎮座する神社。御祭神は木花咲耶姫命、大己貴命、彦火火出見命の3柱をまつる。
社格は旧県社。
当社の創建は、延暦21年(802年)に富士山東麓で噴火が起こったことに始まると伝えられる。人々が恐れる中、国司・郡司が須走の地に斎場を設けて鎮火祭を斎行し、同年の4月初申の日に噴火が収まったため、その神威に報いる形で大同2年(807年)に鎮火祭の跡地へ神を祀ったというのが起源である。ここでは「火を鎮める祈り」が出発点となり、富士の火山活動と向き合う切実な信仰が、神社成立の核になっている。
創建後まもない平安期には、弘法大師(空海)が当地で修行し富士登山をしたという伝承があり、近世頃までは弘法寺浅間宮とも称された。こうした伝承は、富士登拝が神仏習合的な霊山信仰として広がっていった歴史の一端を映し、須走口が単なる登山道ではなく「祈りの道」として成熟していったことを想起させる。
室町後期から江戸期にかけては、庶民の富士山登拝信仰や富士講、修験者の信仰を集め、須走口登山道と宿場町の賑わいとともに栄えた。さらに当社と関わる山中の社として、9合目の迎久須志之神社、6合目の胎内神社、5合目の古御岳神社などが挙げられ、富士山へ向かう途上そのものが祭祀の連なりとして整えられていたことがわかる。
宝永4年(1707年)の宝永大噴火では、3~4mにも及ぶ降灰で社殿や街が埋没したが、駿河国と甲斐国を結ぶ交通の要衝であったことも背景に、幕府の復興支援を受けて再建が進んだと伝えられる。災禍を経てなお信仰の場が立ち上がった経験は、富士の火と共に生きる地域の記憶として境内に折り重なっている。
明治期には当初は村社であったが、後に県社の社格を授けられた。平成19年(2007年)には御鎮座1200年の節目を迎え、記念事業として資料館を併設するなど、富士講の資料や宝物を伝える取り組みが進められた。さらに平成25年(2013年)、富士山が世界文化遺産「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」として登録された際、当社も構成資産の一つとなり、富士信仰の歴史を語る拠点として国際的にも位置づけられている。
境内にはハルニレの巨木があり、静岡県の天然記念物に指定されるなど、信仰空間を支えてきた自然の存在も高く評価されている。また、社殿は小山町の有形文化財(建造物)に指定されており、地域の歴史的景観を形づくる重要な要素として大切に守られてきた。
祭礼は5月4日の例大祭前夜祭、5月5日の例大祭・神幸祭、5月6日の後日祭を中心に行われ、須走の地における年中行事の大きな節目となっている。さらに7月には富士山須走口の開山に関わる神事が斎行され、山に入る季節の始まりと終わりを神前に奉告することで、須走口の信仰は現在へと受け継がれている。
社格は旧県社。
当社の創建は、延暦21年(802年)に富士山東麓で噴火が起こったことに始まると伝えられる。人々が恐れる中、国司・郡司が須走の地に斎場を設けて鎮火祭を斎行し、同年の4月初申の日に噴火が収まったため、その神威に報いる形で大同2年(807年)に鎮火祭の跡地へ神を祀ったというのが起源である。ここでは「火を鎮める祈り」が出発点となり、富士の火山活動と向き合う切実な信仰が、神社成立の核になっている。
創建後まもない平安期には、弘法大師(空海)が当地で修行し富士登山をしたという伝承があり、近世頃までは弘法寺浅間宮とも称された。こうした伝承は、富士登拝が神仏習合的な霊山信仰として広がっていった歴史の一端を映し、須走口が単なる登山道ではなく「祈りの道」として成熟していったことを想起させる。
室町後期から江戸期にかけては、庶民の富士山登拝信仰や富士講、修験者の信仰を集め、須走口登山道と宿場町の賑わいとともに栄えた。さらに当社と関わる山中の社として、9合目の迎久須志之神社、6合目の胎内神社、5合目の古御岳神社などが挙げられ、富士山へ向かう途上そのものが祭祀の連なりとして整えられていたことがわかる。
宝永4年(1707年)の宝永大噴火では、3~4mにも及ぶ降灰で社殿や街が埋没したが、駿河国と甲斐国を結ぶ交通の要衝であったことも背景に、幕府の復興支援を受けて再建が進んだと伝えられる。災禍を経てなお信仰の場が立ち上がった経験は、富士の火と共に生きる地域の記憶として境内に折り重なっている。
明治期には当初は村社であったが、後に県社の社格を授けられた。平成19年(2007年)には御鎮座1200年の節目を迎え、記念事業として資料館を併設するなど、富士講の資料や宝物を伝える取り組みが進められた。さらに平成25年(2013年)、富士山が世界文化遺産「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」として登録された際、当社も構成資産の一つとなり、富士信仰の歴史を語る拠点として国際的にも位置づけられている。
境内にはハルニレの巨木があり、静岡県の天然記念物に指定されるなど、信仰空間を支えてきた自然の存在も高く評価されている。また、社殿は小山町の有形文化財(建造物)に指定されており、地域の歴史的景観を形づくる重要な要素として大切に守られてきた。
祭礼は5月4日の例大祭前夜祭、5月5日の例大祭・神幸祭、5月6日の後日祭を中心に行われ、須走の地における年中行事の大きな節目となっている。さらに7月には富士山須走口の開山に関わる神事が斎行され、山に入る季節の始まりと終わりを神前に奉告することで、須走口の信仰は現在へと受け継がれている。
スポンサーリンク
神社詳細
公式URL
摂末社・境内社
情報募集
例祭
情報募集
文化財
情報募集
建築
本殿 権現造
神紋
情報募集
出典
公式サイト
http://www.higashiguchi-fujisengenjinja.or.jp
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8F%A3%E6%9C%AC%E5%AE%AE%E5%86%A8%E5%A3%AB%E6%B5%85%E9%96%93%E7%A5%9E%E7%A4%BE
静岡県神社庁
http://www.shizuoka-jinjacho.or.jp/
http://www.higashiguchi-fujisengenjinja.or.jp
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8F%A3%E6%9C%AC%E5%AE%AE%E5%86%A8%E5%A3%AB%E6%B5%85%E9%96%93%E7%A5%9E%E7%A4%BE
静岡県神社庁
http://www.shizuoka-jinjacho.or.jp/
