有名度
関脇三嶋大社
みしまたいしゃ
静岡県三島市大宮町2-1-5
神馬舎・芸能殿・総門
更新日:2026年9月19日
神馬舎
三嶋大社の神馬舎には、黒漆塗りの立派な木馬が納められています。神馬とは神様が乗る馬のことで、古くは生きた馬が神社へ奉納されることもありました。三嶋大社でもかつては生きた馬が奉納されていましたが、後に木馬へと変わりました。
三嶋大社には古くから、神馬が毎朝神様を乗せて箱根山へ登るという伝説が残されています。
そのため、かつて三嶋大社の神官を務めた矢田部家では、神馬が箱根山から戻ってくるのを待ち、「お馬さんがお帰りになった」と言ってから朝食を食べたと伝えられています。現在の神馬は慶応4年(1868)7月10日に完成したものです。当初は旧神馬舎に納められていましたが、戦後に現在の神馬舎が完成したため、こちらへ移されました。
それ以前の木馬は安政の東海地震によって破損し、その後、現在見られるような黒漆塗りの神馬になったと伝えられています。
神馬にちなみ、現在も子供の成長と健脚を祈る風習があります。
毎朝神様を乗せて箱根山へ向かったという神馬の伝説を知ってから見ると、黒漆塗りの木馬もまた違った印象に見えてくるのではないでしょうか。

芸能殿
現在の芸能殿は、もともと三嶋大社の総門として建てられた建物です。嘉永7年(1854)の安政東海地震では三嶋大社の社殿が大きな被害を受け、その復旧工事を進めた神主・矢田部式部盛治によって、慶応4年(1868)2月11日に総門として完成しました。
その後、昭和5年(1930)の北伊豆地震で被害を受け、新しい総門が建設されたことから旧総門としての役割を終えました。
一時は別の場所へ移されましたが、戦後に再建。一部を改造したうえで「芸能殿」として保存され、現在に至っています。
現在の芸能殿では、三嶋大社の例祭における神賑行事をはじめ、年間を通じてさまざまな奉納芸能が行われています。
つまり芸能殿は、幕末の大地震から三嶋大社を復興した時代の建物を、役割を変えながら現在まで残したものです。

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総門(外構えの門)
三嶋大社の参道に堂々と構える総門は、境内の外構えの門です。昭和5年(1930)の北伊豆地震が発生した際にはすでに建築工事が進められていましたが、震災を乗り越え、昭和6年(1931)3月に竣功しました。
設計・監督を担当したのは、当時の内務省神社局技師・角南隆(すなみたかし)です。
建築には台湾檜が使用されました。三嶋大社では初めて台湾檜が用いられた建物で、昭和の神社建築を代表する建物のひとつに数えられています。その格調高い姿から、三島市の指定文化財にもなっています。
そして総門でもうひとつ注目したいのが、頭上に掛けられた巨大な注連縄です。
大注連縄は長さ約6m、太さ約2m、重さ約400kgという巨大なもの。三嶋大社公式の境内案内では長さ6.4mと紹介されています。
毎年12月18日には新年を迎えるための「注連縄作り」が行われ、総門の大注連縄をはじめ、境内各所に掛ける25本の注連縄が奉製されます。その後、12月20日のすす払いを終えてから各所に取り付けられ、新年を迎えます。
総門をくぐる際には、建物そのものだけでなく、頭上に掛けられた迫力ある大注連縄にもぜひ注目してみてください。

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