来振神社 - 神社ファン

有名度

前頭

来振神社

きぶりじんじゃ

岐阜県揖斐郡大野町稲富字井口山2544番地の1

岐阜県揖斐郡大野町稲富字井口山2544番地の1

鳥居と社号標

Monami(wikipedia CC 表示-継承 3.0)

かんたんご利益

  • 恋愛
  • 仕事
  • 厄除
来振神社には

「恋愛系」「仕事系」「厄除・開運系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

五穀豊穣 縁結び 開運招福

御祭神

伊弉諾命 いざなぎのみこと
伊弉冉命 いざなみのみこと
菊理姫命 くくりひめのみこと
大己貴命 おおなむちのみこと

神社系統

この神社の主な系統は

白山系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

来振神社は岐阜県揖斐郡大野町に鎮座する神社。御祭神は伊弉諾命、伊弉冉命、菊理姫命、大己貴命、白山輔佐翁の5柱をまつる。
社格は式内社であり、旧郷社。
創祀は神亀2年(725年)6月と伝えられる。この年の6月18日、晨暁に雪が尺余も積もるという異例の瑞兆が現れたとされ、この出来事を受けて勅使が下向したという。神託により二柱の神が霊山の嶺に降臨したと伝えられ、急ぎ宮社が修められて来振明神として崇敬され、勅祭が行われたと伝承されている。
その後、永世にわたる祭祀を行うため、山麓には伽藍十二坊が創建され、新福寺は来振寺へと改称されたとされる。神社と寺院が一体となって信仰が営まれた起源は、この地における宗教的基盤を形づくる重要な要素となっている。
中世以降、来振神社は自然災害や戦乱の影響を受けたとされ、享禄3年(1530年)には洪水に見舞われ、永禄3年(1560年)には兵火による焼失があったと伝えられている。これらの被害を経ながらも、豊臣氏や徳川氏による朱印地の寄進を受け、大垣藩主戸田氏の崇敬のもとで社殿の造営や修繕が重ねられ、社勢の維持が図られた。
さらに、享保3年(1718年)には河川の流域変更により社地が流失し、旧社地が川敷となったという伝承も残されている。一方、天和2年(1682年)2月銘の手水鉢が奉納されており、近世における信仰の継続を具体的な遺物からうかがうことができる。
近代に入ると、白山周辺で石灰採掘が進められたことにより、昭和43年(1968年)に白山山頂から麓の現在地へ遷座したとされる。平成11年(1999年)には周辺が公園として整備され、今日の参拝環境が整えられた。
例大祭は毎年4月第1日曜日に斎行される。あわせて、大野町の無形民俗文化財に指定される来振ばやしが伝承されており、元日および例大祭日に奉納される神事芸能として、地域の信仰と結びつきながら受け継がれている。
  • 郷社
  • 式内社(小)
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神社詳細

摂末社・境内社

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文化財

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神紋

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%A5%E6%8C%AF%E7%A5%9E%E7%A4%BE
岐阜県神社庁
https://www.gifu-jinjacho.jp/