忍野八海浅間神社 - 神社ファン

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忍野八海浅間神社

おしのはっかいせんげんじんじゃ

山梨県南都留郡忍野村忍草四五六

山梨県南都留郡忍野村忍草四五六

鳥居

くろふね(wikipedia CC 表示 3.0)

忍野八海浅間神社以外にも 忍草浅間神社 とも呼ばれます。


かんたんご利益

  • 仕事
  • 子供
  • 厄除
  • 家庭
忍野八海浅間神社には

「仕事系」「子供系」「厄除・開運系」「家庭系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

火難除け 安産 夫婦円満 酒造守護

御祭神

主祭神

木花開耶姫命 このはなさくやひめのみこと

相殿神

天津日高日子番能邇々藝能尊 あまつひこひこほのににぎのみこと

相殿神

大山祇命 おおやまつみのみこと

神社系統

この神社の主な系統は

浅間・サクヤビメ系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

忍野八海浅間神社は山梨県南都留郡忍野村に鎮座する神社。御祭神は木花開耶姫命、天津日高日子番能邇々藝能尊、大山祇命の3柱をまつる。
社格は旧村社。
この神社の起源は古く、創建は大同2年、すなわち西暦807年(平安時代初期)に遡ると伝えられている。それは長らく富士山北麓の信仰と結びつき、地域の人々から崇敬されてきたものである。やがて1186年頃、かつてこの地にあった湖(後の湧水池群である忍野八海)が涸れ、新たに八つの湧水池が現れたとき、社殿が現在の所在地に再建されたと伝えられている。さらに1193年(建久4年)のこと、当時の征夷大将軍であった源頼朝が富士裾野で催した「巻狩り」の際に、鳥居地峠から鬼坂までをこの神社の社領と定めた。また同年8月6日には、鎌倉幕府により武運長久祈願が命じられ、御家人である和田義盛ならびに畠山重忠によって神門と金剛力士像(二天王像/持国天・増長天)が奉納されたと伝わる。これが現在の随神門(神門)に安置されている。その後も度々の修復と再建が行われ、慶長18年(1613年)に社殿の再建、宝永2年(1705年)には本殿を三間社極彩色に再々建、また延享3年(1746年)、天保2年(1831年)には拝殿および天屋拝殿の造営が記録されている。近世から近代にかけては、かつての仏教色を示す「権現」の名を外すなど、明治以降の神仏分離の影響を受け、現在の神名および神格が整えられたともされる。また、本殿に祀られる御神体として、正和4年(1315年)に彫られた三神像(木造坐像)がある。これらは女神像および男神像を含み、ヒノキの一木造りで彩色を施されたものであり、県下でも最古級の貴重な神像とされ、現在、国の重要文化財に指定されている
境内には、イチイの巨木やケヤキの大木などが群生し、それらは県指定の天然記念物にもなっている。
  • 村社
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神社詳細

公式URL

摂末社・境内社

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文化財

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建築

本殿 三間社流造

神紋

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出典
公式サイト
https://ja-jp.facebook.com/OshinoHakkaiSengenJinja/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E9%96%93%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E5%BF%8D%E9%87%8E%E6%9D%91%E5%BF%8D%E8%8D%89)
山梨県神社庁
https://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/