国神神社 福井県 - 神社ファン

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前頭

国神神社

くにがみじんじゃ

福井県坂井市丸岡町石城戸1丁目2

福井県坂井市丸岡町石城戸1丁目2

拝殿

Yasuhiro Kojima(wikipedia CC 表示-継承 4.0)

かんたんご利益

  • 仕事
  • 安全
  • 厄除
国神神社には

「仕事系」「安全系」「厄除・開運系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

事業安全 治水開拓 八方除 商売繁盛 厄除開運

御祭神

椀子皇子 まるこのおうじ

相殿神

振媛命 ふるひめのみこと

相殿神

応神天皇 おうじんてんのう

相殿神

有馬晴信公 ありまはるのぶこう

神社系統

この神社の主な系統は

「不明(1柱)」

です。
他に 「不明(2柱)」 「八幡系」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

国神神社は福井県坂井市に鎮座する神社。御祭神は椀子皇子、振媛命、応神天皇、有馬晴信公の4柱をまつる。
社格は式内社であり、旧県社。
坂井郡の式内社として延喜式神名帳に「國神神社」と記される古社で、創建は少なくとも1200年以上前にさかのぼるとされる。社伝『神社明細帳』によれば、男大迹王(のちの継体天皇)と倭媛の皇子である椀子皇子(まるこのおうじ)が武烈天皇8年(506)に磨留古乎加(まるこおか、現在の丸岡城の丘)で誕生し、その胞衣を埋めて神明社としたことが当社の起こりと伝わる。磨留古乎加は皇子の名と丸岡の地名の由来にもなり、椀子皇子が父の意志を継いで湿地であった坂中井平野の治水開拓を進めたことから、国土開発の守護神として篤く崇敬された。
延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には式内社として記載があり、古くから地域の中心的な神社として位置づけられていた。1576年(天正4年)、柴田勝豊が磨留古乎加に丸岡城を築いた際、当社は元の鎮座地から現在地へ遷され、以後、丸岡城歴代城主の保護や寄進を受けて隆盛した。丸岡藩主である本多家・有馬家からの奉納品は社宝として残り、天保12年(1841)の御神鏡には「丸岡總社神明宮」と記され、丸岡一円から深く崇敬されていたことがうかがえる。
江戸時代には別当寺・真言宗寶積院のもとで神明社・神明宮とも呼ばれていたが、明治維新後に古典に基づき國神神社と称した。明治3年(1870)には、継体天皇の母・振媛命と応神天皇を祀る高向神社を旧高田村より遷座し、明治19年(1886)に本殿へ合祀している。明治7年(1874)には県社に列し、明治41年(1908)には神饌幣帛料供進神社に指定されるなど、近代においても格式高い神社として位置づけられた。
昭和23年(1948)の福井大地震では社殿や樹木が倒壊・焼失する甚大な被害を受けたが、昭和37年(1962)に本殿(神明造)・幣殿・拝殿が再建された。併せて境内社・霞城神社の有馬晴信公も本殿に合祀された。さらに昭和57年(1982)には社殿改築20周年記念として宝物殿が竣功し、昭和61年(1986)には玉垣が整備され、平成4年(1992)には御大典記念事業として社務所兼氏子会館も完成した。
現在も「おしんめさん」として親しまれ、春秋の例祭には「まるおかまつり」「めめんじゃこまつり」と呼ばれる祭礼が行われ、多くの参拝者で賑わう地域の中心的な神社となっている。
  • 県社
  • 式内社(小)
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神社詳細

公式URL

摂末社・境内社

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例祭

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文化財

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建築

本殿 神明造

神紋

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出典
公式サイト
http://www.kunigamijinja.jp/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%8B%E7%A5%9E%E7%A5%9E%E7%A4%BE
福井県神社庁
https://www.jinja-fukui.jp/