有馬晴信
ありまはるのぶ
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 大名
戦国~江戸 [1567年~1612年]
有馬晴信とは?
有馬晴信(1567-1612)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての大名。肥前国日野江藩初代藩主。父は有馬義貞。大友宗麟や島津義久から偏諱を受け、のちに祖父の名からも一字とり晴信と称した。1571年に兄・義純が早世、5歳で家督を継ぐ。はじめ大友氏に従い、龍造寺隆信に不本意ながら臣従、のちに義久と通じ隆信を滅ぼした。豊臣秀吉の九州平定では島津から離れ豊臣に加勢した。1580年に洗礼を受けキリシタンとなる。1587年に秀吉が禁教令を発するまで、数万を超えるキリシタンを保護した。文禄の役では第一軍として釜山へ攻め込み、6年間朝鮮で過ごした。関ヶ原の戦い後、台湾貿易の可能性を探るなど任を受けていたが、マカオ市民と晴信の船の船員のトラブルが発端のノサ・セニョーラ・ダ・グラサ号事件が起こる。その後、鍋島直茂の所領になっていた旧領三郡を回復しようと試みるが、それが発端で本多正純の家臣・岡本大八と争いが起こる。投獄された大八は晴信が長崎奉行の長谷川藤広の暗殺を企んでいると訴え、結局晴信も捕らえられる。大八は江戸へ送られ火刑、晴信は甲斐国へ流刑の末に自害させられた。 福井県坂井市丸岡町にある國神神社は、椀子皇子らとともに晴信が祭神として祀られている。元は境内社霞城神社だったものが合祀されたもの。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
国神神社
(福井県坂井市丸岡町石城戸1丁目2)
