松平康正(大弐)の碑 | 尾山神社 - 神社ファン

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尾山神社

おやまじんじゃ

石川県金沢市尾山町11-1

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松平康正(大弐)の碑

更新日:2026年8月29日

禁門の変の責任を負った松平康正(大弐)

境内には、幕末の加賀藩で家老を務めた松平康正(まつだいらやすまさ)を顕彰する碑があります。康正は通称を大弐(だいに)といい、「松平大弐」の名でも知られています。1864年(元治元年)、加賀藩14代藩主・前田慶寧は京都で御所の警護にあたっていました。当時の京都では尊王攘夷運動をめぐって各藩の対立が激しくなっており、同年7月には長州藩と幕府方の諸藩が衝突する禁門の変が起こります。
加賀藩は長州藩と幕府方の間で難しい立場に置かれました。慶寧は禁門の変の前後に長州藩側と接触していたこともあり、戦いが始まると御所警護の任務を離れ、京都を退去して金沢へ帰国しました。
松平康正(大弐)の碑
幕府から京都警衛を命じられていたにもかかわらず帰国したことは、加賀藩にとって重大な問題となりました。慶寧は藩主である父・前田斉泰から謹慎を命じられ、側近たちにも厳しい処分が下されます。
その責任を負った一人が、家老の松平大弐です。大弐は慶寧の京都での行動を補佐した責任を問われ、同年、切腹を命じられました。この一連の処分では、大弐だけでなく慶寧に従った家臣たちも処罰され、加賀藩幕末史のなかでも大きな事件となりました。

明治維新後に名誉を回復

松平大弐らに対する評価は、明治維新を迎えると大きく変化しました。
幕府の命令に背いたとして処罰された大弐でしたが、幕府が倒れ明治政府が成立すると、その立場や行動が改めて評価され、名誉が回復されました。のちに大弐の忠節をたたえるため建立されたのが、現在尾山神社境内に残る顕彰碑です。
尾山神社には前田利家公をはじめ、加賀藩前田家に関係する数多くの史跡や文化財があります。松平大弐の碑は、そのなかでも幕末という加賀藩が大きく揺れ動いた時代を伝えるものです。
禁門の変といえば長州藩や薩摩藩、会津藩などに目が向きがちですが、加賀藩も京都警衛を担い、その対応をめぐって藩内で大きな犠牲を出しました。松平大弐の碑は、そうした加賀藩側から見た幕末の歴史を現在に伝えています。

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