有名度
前頭上位加波山三枝祇神社 親宮
さえなずみじんじゃしんぐう
茨城県桜川市真壁町長岡1250番地
茨城県桜川市真壁町長岡1250番地

加波山三枝祇神社 親宮以外にも 加波山三枝祇神社 とも呼ばれます。
かんたんご利益
- 健康
- 仕事
- 安全
加波山三枝祇神社 親宮には
「健康系」「仕事系」「安全系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
五穀豊穣 鎮火 疫病除け
御祭神
伊邪那美大神 いざなみのおおかみ
速玉男命 はやたまのおのみこと
事解男命 ことさかのおのみこと
建許呂神 たけころのかみ
神社系統
この神社の主な系統は
「熊野系」
です。他に 「不明(柱)」
も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
加波山三枝祇神社 親宮は茨城県桜川市に鎮座する神社。御祭神は伊邪那美大神、速玉男命、事解男命、建許呂神の4柱をまつる。
社格は国史見在社であり、旧村社。
社伝では、景行天皇41年、日本武尊が東国へ向かう途中に加波山へ登拝し、神託を受けて社殿を創建したと伝えられる。また、茨城国造であった三枝部連が祖神・建許呂神をまつったことを起源とする伝承も残る。
神護景雲年間(767~770年)には、伊邪那美大神、速玉男命、事解男命が加波山に現れたと伝えられる。大同年間(806~810年)には徳一が加波山に入り、薬師如来・阿弥陀如来・釈迦如来を本地仏とした。以後、加波山は神仏習合の霊場となり、修験者や山伏が修行を行った。
貞観17年(876年)には三枝祇神が従五位下の神階を授けられた。天慶2年(939年)には兵火で社殿が焼失したと伝えられ、天文15年(1546年)に真壁氏が社殿を再建した。
室町時代には加波山の信仰組織が本宮・親宮・中宮に分かれ、親宮は円鏡寺の管理下に置かれた。近世には加波山権現の一宮として運営され、円鏡寺は金剛院末寺として檀家を持ち、葬儀も執り行っていた。
慶安元年(1648年)には、本宮の正幢院と親宮の円鏡寺が加波山権現領100石の朱印地を与えられ、それぞれ50石を管理した。山伏を山先達として組織し、神輿を周辺の村々へ巡行させた。文化・文政年間(1804~1830年)には禅定講が各地へ広がり、親宮の禅定講は加波山北部を中心に発展した。
明治元年(1868年)の神仏分離により円鏡寺は廃され、僧侶は還俗して神職となった。親宮は長岡村の氏神となり、明治37年(1904年)には管理・修復の権利が鈴木宗吉へ委ねられた。大正年間には氏子との対立が生じ、その後は本宮が管理を担い、現在は本宮の里宮が親宮の遥拝所を兼ねている。
親宮の本殿は加波山山頂付近に鎮座する切妻造で、本宮山頂本殿から尾根沿い約200m北に位置する。拝殿は本殿の北側に建ち、西麓の真壁町長岡には本宮と親宮を拝する里宮が置かれている。
例祭は4月8日に斎行される。御分霊渡御祭では神輿が真壁町を中心に巡行し、8月の禅定祭では白衣姿の参拝者が山先達の案内で禅定場を巡拝する。冬至には鎮火祭の火渉祭が行われ、燃えた薪の上を素足で渡る神事が続けられている。
社格は国史見在社であり、旧村社。
社伝では、景行天皇41年、日本武尊が東国へ向かう途中に加波山へ登拝し、神託を受けて社殿を創建したと伝えられる。また、茨城国造であった三枝部連が祖神・建許呂神をまつったことを起源とする伝承も残る。
神護景雲年間(767~770年)には、伊邪那美大神、速玉男命、事解男命が加波山に現れたと伝えられる。大同年間(806~810年)には徳一が加波山に入り、薬師如来・阿弥陀如来・釈迦如来を本地仏とした。以後、加波山は神仏習合の霊場となり、修験者や山伏が修行を行った。
貞観17年(876年)には三枝祇神が従五位下の神階を授けられた。天慶2年(939年)には兵火で社殿が焼失したと伝えられ、天文15年(1546年)に真壁氏が社殿を再建した。
室町時代には加波山の信仰組織が本宮・親宮・中宮に分かれ、親宮は円鏡寺の管理下に置かれた。近世には加波山権現の一宮として運営され、円鏡寺は金剛院末寺として檀家を持ち、葬儀も執り行っていた。
慶安元年(1648年)には、本宮の正幢院と親宮の円鏡寺が加波山権現領100石の朱印地を与えられ、それぞれ50石を管理した。山伏を山先達として組織し、神輿を周辺の村々へ巡行させた。文化・文政年間(1804~1830年)には禅定講が各地へ広がり、親宮の禅定講は加波山北部を中心に発展した。
明治元年(1868年)の神仏分離により円鏡寺は廃され、僧侶は還俗して神職となった。親宮は長岡村の氏神となり、明治37年(1904年)には管理・修復の権利が鈴木宗吉へ委ねられた。大正年間には氏子との対立が生じ、その後は本宮が管理を担い、現在は本宮の里宮が親宮の遥拝所を兼ねている。
親宮の本殿は加波山山頂付近に鎮座する切妻造で、本宮山頂本殿から尾根沿い約200m北に位置する。拝殿は本殿の北側に建ち、西麓の真壁町長岡には本宮と親宮を拝する里宮が置かれている。
例祭は4月8日に斎行される。御分霊渡御祭では神輿が真壁町を中心に巡行し、8月の禅定祭では白衣姿の参拝者が山先達の案内で禅定場を巡拝する。冬至には鎮火祭の火渉祭が行われ、燃えた薪の上を素足で渡る神事が続けられている。
スポンサーリンク
神社詳細
公式URL
摂末社・境内社
情報募集
例祭
情報募集
文化財
情報募集
建築
情報募集
神紋
情報募集
出典
公式サイト
http://kabasan-jinja.jp/
茨城県神社庁
https://www.ibarakiken-jinjacho.or.jp/
http://kabasan-jinja.jp/
茨城県神社庁
https://www.ibarakiken-jinjacho.or.jp/
