椙尾神社 山形県鶴岡市馬町字宮ノ腰 - 神社ファン

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前頭

椙尾神社

すぎのおじんじゃ

山形県鶴岡市馬町字宮ノ腰169

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山形県鶴岡市馬町字宮ノ腰169

かんたんご利益

  • 仕事
椙尾神社には

「仕事系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

想

豊漁 商売繁盛 五穀豊穣

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

「えびす系」

です。
他に 「不明(1柱)」 「龍田系」 「出羽三山系」 「大物忌系」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

椙尾神社は山形県鶴岡市に鎮座する神社。御祭神は事代主命、天津羽羽命、龍田彦大神、龍田姫大神、月山大神、大物忌大神の6柱をまつる。
社格は式内社(論社)であり、旧県社。
椙尾神社は古くは小物忌神社と称したとする記録が残り、祭壇に磐座や祠堂を設けて神をまつっていたと伝えられる。719年(養老3年)には現在の馬町宮ノ腰へ遷座した。その後、近郷で稲作が行われるようになると、大和国から風の神である龍田彦大神と龍田姫大神が勧請された。
927年(延長5年)に完成した『延喜式』神名帳には、出羽国飽海郡の小物忌神社が記載されており、椙尾神社はこの小物忌神社の論社とされている。
鎌倉時代に武藤氏が出羽国の地頭となると、大物忌大神と月山大神が相殿に勧請された。武藤氏は椙尾神社の氏子となり、大祭では奉幣に奉仕したと伝えられる。また、臨時に出羽国の延喜式内社9座の神々を招いて祭典を行ったとの伝承も残されている。
応永年間(1394~1428)には、武藤左京太夫讃岐守政氏が本殿を造営した。武藤氏の滅亡後、最上氏が庄内を支配すると、椙尾神社は最上義光の保護を受けた。
1611年(慶長16年)には、尾浦城代の下次右衛門尉藤原實秀と代官原美濃守源頼秀によって石鳥居が寄進された。翌1612年(慶長17年)には最上義光が黒印高170石余を寄進し、最上義光の押印がある寄進状が残されている。
1622年(元和8年)に酒井氏が庄内へ入部した後も祭祀が続けられた。武藤氏の時代から伝わる祭礼として斎倉祭があり、現在も行われている。
応永年間に造営された本殿は正保年間(1644~1647)に火災で焼失し、1661年(万治4年)に再建された。現在の本殿は三間社流造、銅板葺で、1915年(大正4年)には大正天皇御即位礼を記念して内部の大修繕が行われた。
1826年(文政9年)には拝殿が建立された。入母屋造、銅板葺で、正面に千鳥破風を設け、桁行8間、梁間3間、正面に3間の向拝を付す。向拝の木鼻には獅子、欄間には龍・虎・松の彫刻が施されている。
明治以前には学頭の永福寺をはじめとする寺院と社家が祭祀に関わっていた。1869年(明治2年)に小物忌椙尾大明神から椙尾神社へ改称し、1876年(明治9年)には県社に列格した。1904年(明治37年)には氏子らによって椙尾神社保存会が設立され、社殿の修繕や祭典などに携わってきた。
参道入口には1611年(慶長16年)に寄進された石鳥居が残る。石製の両部鳥居で、2本の柱を亀腹の台石上に立て、柱上の台輪に一石造りの島木と笠木を載せる。笠木は長さ6.6mで、その上には17枚の屋根石が並ぶ。1953年(昭和28年)2月20日に山形県指定有形文化財に指定された。
境内へ進むと二の鳥居があり、66段の石段の途中には大山犬祭りの伝承に登場する「メッケ犬」の石像が置かれている。境内には本殿や神倉のほか、八坂神社、八幡神社、大山祇神社、佐田彦神社、桜の宮、武藤家霊殿、皇大神社が鎮座する。
例大祭は毎年6月5日に行われ、大山犬祭りと呼ばれる。椙尾神社の裏山にいた大ムジナを「メッケ犬」が退治したという伝説が伝えられており、祭りではメッケ犬をかたどった犬みこしや「犬曳」、大ムジナへの人身御供となる女性を表した「仮女房」を伴う行列、からぐり山車などが大山地区を巡る。300年以上の歴史を持つ祭りで、庄内三大祭の一つに数えられている。
  • 県社
  • 式内社(不明 論社)
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出典
山形県神社庁
https://yamagata-jinjyacho.or.jp/